アシックス Cプロジェクト部長の竹村周平氏

 近年マラソン界では「厚底シューズ」による新記録が続出している。2018年ケニアのエリウド・キプチョゲ選手がナイキの厚底マラソンシューズで世界新記録を出し、同年、女子ではケニアのブリジット・コスゲイ選手がアディダスの厚底マラソンシューズで世界記録を2分以上塗り替えた。しかし、ナイキ、アディダスをライバルとするアシックスは当時トップアスリートが望むようなシューズをラインアップしていなかった。このままではトップが選ぶシューズにアシックスが入らなくなる。危機感を覚えたアシックスはトップアスリートに焦点を合わせたシューズ開発をスタートさせたのだった。

「アスリートが勝つためのシューズを開発せよ」

 2021年、箱根駅伝で「選手の95%がナイキ厚底シューズ」「厚底が主流か」という報道が新聞やテレビでなされた。実際、この年の箱根駅伝参加者210人のうち201人がレースにナイキの「ズームエックス ヴァイバーフライ ネクスト%」という厚底シューズを選んだのだった。

 同年、アシックスのシューズで箱根駅伝に参加したランナーは0人。だが、こうした状況を、アシックスが指をくわえて見ていたわけではない。
実は2019年11月、アシックスの社長COO(当時・現会長CEO)の廣田康人氏は、「アスリートが勝つためのシューズを開発せよ」と命を下し、社長直轄のプロジェクトチームを立ち上げていた。このチームが進めるプロジェクトはトップ(頂上、Chojo)を目指す「Cプロジェクト」と命名され、スタッフにはランニングシューズ開発の経験を20年以上持つ竹村周平氏を中心とする十数人が選ばれた。

竹村 周平/アシックス Cプロジェクト部長

兵庫県立姫路工業大学(現:兵庫県立大学)卒業後、2001年アシックスに入社しフットウエア統括部にてサッカーシューズ、2004年からはランニングシューズの開発に携わる。一貫してシューズ開発のキャリアを積み、2020年1月よりCプロジェクトリーダーとして、トップアスリート向けのシューズ開発に携わる。

 ここでいうアスリートとは「箱根駅伝やオリンピックといった著名な大会に出て好成績を挙げるランナー」を指す。こうしたアスリートに選ばれるシューズを作るというのが、Cプロジェクトだ。

 現在の陸上競技用シューズには「一般の利用者が購入できるもの」という規定がある。オリンピック選手でも普通のショップで購入できる市販品シューズで勝負しなくてはいけない(購入後のカスタマイズは可能)。つまり、Cプロジェクトはアスリート向けの「市販品」開発でトップを目指すことになる。

 2020年1月、アシックスのCプロジェクトは多数のアスリートの声を聞くことからスタートした。

 しかし、聞こえてきたのは厳しい声だった。アスリートからは「今のアシックスには勝てるシューズがない」、プロアスリートをサポートする代理人からは「戦えるシューズがないからアスリートを紹介しない」と言われた。竹村氏は「アシックスでは勝てないから、アスリートが他社のシューズを選んでいるという事実を、現実として突き付けられました」と振り返る。

「尖った部分が少し丸くなっていた」商品開発

 厳しい声を突き付けられ、Cプロジェクトのメンバーは「なぜ」と大きく困惑する。

 それでもアスリートの「勝てない」という声を全員で受け止め、理解し共有しようとした。その上で、アスリートにアシックスのシューズを選んでもらうには、何を解決しなければいけないのか、全員が徹底的に考えた。

 竹村氏はこう振り返る。「当時のアシックスのマラソンシューズは大会トップを狙うアスリートタイプもラインアップしていましたが、そのタイプのシューズも含め、より多くのユーザーの支持を集めようと、足の速い市民ランナーにも合わせた作りになっていたと思います。開発するシューズのタイプを絞り、少ない種類で多様なニーズに対応できれば効率的と言えますが、トップアスリートが大会に勝つための尖った部分は少し丸くなっていたと思います」。

 Cプロジェクトでは、この部分を「もう一度、とんがるように」と社長から檄を飛ばされたのだった。

 世界で勝つシューズを開発するには「走りやすい」という視点だけでは足りない。アスリートがフルマラソンで42.195kmをどう走るかの研究も重要だった。例えば、前半は体力を温存し、後半に勝負をかけるアスリートはシューズに何を求めるのか。戦略が異なるアスリートごとに担当者が直接選手に聞き取りをした。こうした声は国内のみならず、東アフリカのケニア、欧米などのアスリートからも集めたという。

 Cプロジェクトのメンバーは多忙を極めたが、それでも勝てるシューズの開発スケジュールは「2021年に商品化、同年の主要大会で使ってもらう」こととした。Cプロジェクトのスタートは2020年1月だから、2年以内に結果を出すという、かなり厳しいスケジュールだ。

「アシックスのシューズに期待するアスリートの声に早く答えを出さねば。勝てるシューズを出すから2、3年待ってとは言えません」と竹村氏。Cプロジェクトの他のメンバーからも、無理という声は上がらなかった。

 Cプロジェクトのメンバーは一丸になり、従来を大きく上回るペースで開発を進めた。