最初から「厚底」を目指したわけではなかった
マラソンシューズの開発はサンプルシューズを作り、アスリートに試してもらい、彼ら彼女らの意見を基に改善するという作業の繰り返しだ。通常のサンプル作成では、例えばシューズ底の厚み違いで2、3種類を用意し、アスリートに試してもらいながら徐々に理想の厚さを探っていくが、それをCプロジェクトではアスリートの足のサイズに合わせ、一度に底の厚さ違いのシューズを10種類以上用意した。開発費用は増えるが、選択肢を増やすことでアスリートが判断しやすくなり、理想の厚さを見つけるまでの時間が短縮できる。
ちなみに、シューズの底が厚くなるのは、靴底用のフォーム材を生かしてシューズにクッション性を持たせるためだ。また、カーボンプレートとフォーム材の組み合わせで、強い反発力が得られ、加速につながる。
こうした発想は以前からあったが、重くて使えないといわれてきた。しかし、2018年ごろから軽い新素材が登場し、これらの素材を使用して軽いシューズを開発することが可能になった。それがマラソンでの新記録ラッシュにつながったわけだ。
ただ、アシックスのCプロジェクトでは最初から「厚底」を目指したわけではなかった。サンプルでは靴底は厚いものから薄いものまで用意した。竹村氏は「アスリートからは反発力の強弱の良し悪しのフィードバックをもらい、同時に実際の走行タイムなどのデータを取って比較し、どの形状なら一番パフォーマンスが上がるかを追求した」と言う。
常に多くのアスリートが望むシューズの軽量化については、アシックスでも靴底やクッション材に軽い素材の採用を目指したが、その中で今まで誰も考えなかった「カカトを取って軽くする」という取り組みにも挑戦。
トップアスリートの走りは常に前足部や中足部から入るから「カカトはいらない」という判断からだが、「もしカカトがなかったら」とアスリートに聞いてみると、「走る際は中足部や前足部から入るのでカカトがなくても走れるが、マラソンの最中にほんの数歩だが、体がふらつくことがある。そのときに体を支えるためにカカトが必要。けがの防止になる」と言われ、この取り組みは中止。走る速度を上げる目安は見えてきたが、同時に安全性の確保という、2つの相反する仕様を満たす難しさも味わった。
走法に合わせて2種類のシューズを開発
そして、開発を進める中、次に直面したのが、アスリートから聞こえてきた「加速する時に歩幅を伸ばすストライド走法と、歩数を増やすピッチ走法では、求めるものが違う」という声だった。
その差はどれほどなのか。確認のためにアスリートの歩幅、単位時間当たりの歩数などをデータ化したところ、アスリートが秒速4mから6mに加速する時、ストライド走法では1分当たりの歩数が5%(170から180)増え、歩幅は30%(1.4mから2.0m)も伸びるのに対して、ピッチ走法では1分当たりの歩数が20%(170から210)増え、歩幅が15%(1.4mから1.7m)伸びると、予想以上に走法によるデータの違いが明確に現れた。
このとき、Cプロジェクト内で開発方針に対して意見が割れた。「走法による違いはあるが、両方も満足できる点を探り、各仕様をバランス良くまとめて1種類のシューズを作ろう」という意見と「走法に合わせて2種類のシューズを作ろう」という意見だ。
竹村氏も大いに悩んだ。2種類作るのはいいが、それは製造工数を倍に増やすということだ。悩んだ挙げ句、竹村氏は「Cプロジェクトの原点はアスリートが勝つために何が良いかを考え実行すること。ならば、全てのアスリートに向けて良いことをすべき」と、手間を恐れず2種類のシューズを開発することにした。
こうしてアシックスの「アスリートが勝つためのシューズ」は「METASPEED」という名称を得て2021年3月に市場に登場。ストライド走法向けにはMETASPEED SKY、ピッチ走法向けにはMETASPEED EDGEという2種類のシューズが同時発売された。

また、アシックスではアスリートがどちらのシューズを選べばよいか判断できるようにアスリートが試走できる機会を直営店や大会などを中心に用意し、アドバイスを行った。アスリートには発表後も新シューズのフィードバックをもらったり、次世代モデルのサンプル評価も引き続き依頼した。