約2兆円の公的資金が投入され、実質国有化された「りそなショック」から今年、20年を迎えた。改革の旗手として招聘された細谷英二元会長(元JR東日本副社長、故人)の下で財務担当を務め、公的資金返済と再生への道筋をつけたのが、東和浩氏(現りそなホールディングス シニアアドバイザー)である。「りそな改革」の歩みを振り返ってもらうとともに、企業変革を成功させるための必要条件を聞いた。
当事者として「りそなショック」を語り継いでいくのも重要な仕事
――東さんは2022年6月にりそなホールディングスの会長を退任し、シニアアドバイザーに就任されましたが、現在の役割・ミッションとはどういったものですか。
東和浩氏(以下敬称略)アドバイスをしないのが仕事です(笑)。いくつかの社外取締役と、いわゆる財界での役割を果たしていくことによって、側面からりそなグループを応援していくのが現在の仕事で、社内の会議等には一切出ていません。
オフィスに行くのは月に1回くらいで、りそなグループの社内のことは、今の経営陣が自らの責任の下、自由に判断しています。これまでもそうでしたし、自らの経験からも多分、その方がいいだろうと思います。
――2003年に約2兆円の公的資金が投入され、実質国有化された「りそなショック」から、今年5月に20年を迎えました。率直な感想をお聞かせください。
東 もう、りそなショックと言っても分かる人が少なくなって、だんだん歴史の一部になってきたなというのが率直な印象です。「りそな改革」について講演することも度々ありますが、その内容を社員向けに話したりもしています。「失敗学」という学問がありますが、やはり失敗したことを伝えて、後世に引き継いでいかないと、残念ながら人間は同じことを繰り返します。説明していくのは先輩としての責務だと思っています。
とはいえ、時代も変わり、環境も大きく変化する中で、過去にとらわれることなく、自由に考えてほしいという部分もあります。歴史の一部になっていくということは、やむを得ないことかもしれません。
――ちなみに2兆円というのは、当時どういう金額規模だったのですか。
東 国から2兆円の資本金が入りましたが、われわれのバランスシート(BS)上の資本金は当時1兆円ちょっとです。
細谷(英二元会長)さんというのは本当に豪胆な人で、当時、財務担当として細谷さんから言われたのは、「不良債権だけでなく、含み損失も含めて、全て処理しろ」ということでした。ですから、全部うみを出し切って、2003年度の決算は約1兆7000億円の赤字にしました。その時点で、資本はぐっと増えたのですが、翌年度には元に戻ってしまい、銀行の自己資本としては非常に厳しい環境でした。
――東さんは財務担当として公的資金返済に尽力されてきました。2015年の公的資金完済までを振り返って、一番印象に残っているのはどんなことでしょう。
東 返済の仕方は2つあって、1つは、自分たちで利益を積み上げていって返済する方法。もう1つは、外部から資金調達する方法です。前者は今も続いていますが、日本は20年以上、低金利時代が続いているため、積み上がりのスピードが非常に遅い。
一方、後者の調達をして返済するというのは、マーケットから信頼されていないと資金は集まりません。資本が薄っぺらな状態だとなかなか調達できないし、BSがしっかりしているだけではなくて、約束したことをきちんと守っていかないと信頼を得ることはできません。当時の私の仕事の3分の2ぐらいは、ステークホルダー(株主、顧客、社員)との会話でした。一時期、外国人株主の比率が高まったことがありましたが、それは悪い話ではなくて、株主・投資家から信頼されるというのはどういうことかを学ぶ良い機会となりました。
もっとも公的資金の返済は、社員全員が本当に早く完済していこうという強い意志を持ち、給料の引き下げや年金のカットなどにも応じて、非常に厳しい時代を一致団結して取り組んできたからこそ実現したことは、改めて強調しておきたいところです。マネジメント層だけががんばってできるような話では決してありませんから。