バブル崩壊以後の過去30年、一貫して日本が犯してきた過ちの一つは「教育の軽視」「基礎研究の軽視」です。

 この理由ははっきりしています。「教育」を政策に掲げても、代議士は当選できないから。

 地方によっては、既得権益の太い高齢者層から「自分たちの収める税金を関係のない奴の子供の学資に充てるなど、けしからん」といった本音や、実際に落選するケースなども目にしてきました。

 そしてとどの詰まりがこの体たらく、イノベーション期待値がゼロに漸近する「後進国」に陥落しつつある。

 既得権益層の高齢有権者に不評だろうと何だろうと、「イノベーションと教育」この2つを断行しなければ、日本は滅ぶことを覚悟しなければなりません。

 かつて電子立国を誇った我が国が、これではさすがにと政府も音頭をとって2022年には「和製大型半導体メーカー」たるべき期待を担ってRapidus(ラピダス)が設立され、イノベーション復興という声も以前よりは聞かれるようになりました。

 しかし、さてそこで戦力になる人材、とりわけ若手をどこから供給するのか。

「少子高齢化」に伴う「教育のサービス産業化」「カリキュラムの薄味化」などはほとほと深刻で、特にきちんとした「モノづくり」の基礎を身に着けた若手は払底しつつある。

 企業は「データ・サイエンス」人材ばかりを求め、大学工学部はいまや「アナログ回路」を必修で教えないところが珍しくない。

 そんな新卒を「和製半導体メーカー」で雇って、かつての西澤潤一氏=和製半導体の父や、嶋正利氏=人類初のマイクロプロセッサーの設計者のような俊才がすぐに辣腕を振るえるか?

 上記の西澤氏も嶋氏も、東北大学のご出身ですが、現在の東北大は幸い、大野英男総長指導のもとスピントロニクスを筆頭に世界に冠たるイノベーションの「芽」を、いまだ営々と育て続けておられます。

 なぜか?

 本稿の校正時、JBpressの創業者で現在も毎回担当していただいている川嶋諭編集主幹から「2000年前後に私は米国支局長でした。その際、IBMの特集を一人で書いたことがあります。当時はルイス・ガースナーCEO(最高経営責任者)によるサービス改革が一世を風靡しており、日本の電機メーカーはそれに倣って(?)研究開発費を抑える大ブームが訪れていました」というコメントをもらいました。

 毎回、こまやかな神経の行き届いた編集を創業者ご自身に手を動かしていただいて本連載を出稿しています。

 川嶋さんは続けて「しかし、私が企画したのは、サービス改革よりもIBMが真に目指している改革は基礎研究力の向上にあるというものでした」と記しておられます。

 そしてここに、日本の「最後の希望」の明暗の根っこも絡んでいるのです。

 昨年、国の「国際卓越研究大学」の募集に、調整型の東京大学「デザインスクール案」が落第とされました。

(私は蚊帳の外でしたが、一芸術人、本学生え抜きの音楽教授の目で見て落第点の代物でした)

 なぜか?

 既得権益を持つ各学部の顔を立て、内側だけ見て、およそ世界で勝つ本筋も、エッジの立った大原則も何もないからです。