「後進国」から幕内へ返り咲きの要諦

切り札はイノベーションと人材育成

 さて、以下私事ながら、2007年から16年間維持してきたベルリンでの拠点を今回閉鎖することに決めました。理由は言うまでもないでしょう。

 拠点設営後4年目に当たる2011年は、東日本大震災で大変な一年になりました。

 そしてこの年、過去最高の円高として1ドル75円32銭が記録されている。この円高は投機筋の円買いによるもので、健全な相場の推移とは言い難いように思います。

 この2011年、私は読売新聞の田中史生記者と一緒に日本代表として参加した「EU死刑制度検討会」やドイツのバイロイト祝祭劇場の仕事で頻繁に日独往復していました。

 そしてその頃には、お金に値打ちがあった。

 日本の1万円は、ベルリンでは1万5000円程度の価値を持ったように記憶しています。

 ところが、円の価値がほぼ半分まで落ち、その頃のモノの値段が、いま現在、2024年には、ほぼ「2倍」の価格を付けるようになってしまった。

 このため円建てでギャラをもらっても、先進国で普通の暮らしがしにくく、海外からの出稼ぎ労働者もバカバカしいので日本から逃げ出すようになってしまった。

 つまり、日本はすでに「後進国」の領域に足を踏み入れていることは、私自身の実感でもあります。

 そんななかで、私たちはいったいどのようにして活路を見出していけばよいのか?

 私の答えは「イノベーション」と「教育」です。

 司馬遼太郎的な明治の群像を美化するつもりはありませんが、実際明治政府はそのようにして、国家100年の計を構想立案、実行完遂した。

 その遺産を戦後80年、2世3世のボンボン陣笠既得権層が、すべて食い潰した。

「3代目が身上を潰す」とはよく言ったものです。