レオン・ロッシュ

(町田 明広:歴史学者)

◉欧米列強と幕末日本ー日本はどのようにグローバル化したのか①
◉欧米列強と幕末日本ー日本はどのようにグローバル化したのか②
◉欧米列強と幕末日本ー日本はどのようにグローバル化したのか③

フランスの琉球進出

 ナポレオン帝政(1804~15)後のフランスは、東アジアヘの進出に熱心であり、特にその矛先はインドシナ半島に向いていた。日本との接触は、中国(清)と薩摩藩による二重支配を受けていた琉球から始まった。当時の琉球は、清による冊封体制下で朝貢国として存在すると同時に、薩摩藩による実効支配を受けていた。つまり、両属関係にあったのだ。

 天保15年(1844)、東洋艦隊のアルクメール号が琉球列島に来航し、首里王府に和親と通商、キリスト教布教を求めた。2年後の弘化3年(1846)、セシル提督が那覇に来航し、再び条約締結を迫ったが琉球はこれを拒否した。もちろん、その決定には薩摩藩の意向が反映していた。

首里城正殿 写真/アフロ

 これ以降も、フランスの東アジア政策は日本本土によりも、琉球列島に対して重点が置かれた。安政2年(1855)、那覇に来航したゲラン提督は軍事的圧力を行使し、琉仏和親条約を締結させた。その後、フランスが他の列強と対日政策で足並みを揃えるのが安政の5ヶ国条約(安政5年、1858)からであり、当初はイギリスと同一歩調であったのだ。