東京都中央区のあかつき公園にあるシーボルトの胸像 写真/アフロ

(町田 明広:歴史学者)

教科書に必ず載っていたシーボルト

 多くの読者の皆さんは、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796~1866)をご存じではなかろうか。と言うのも、日本史の教科書では、必ず掲載されていた数少ない西洋外国人であったからだ。ちなみに、その他にはキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル、日本を開国に導いたマシュー・ペリーとタウンゼント・ハリス、GHQのダグラス・マッカーサーの4人のみ、どの教科書にも記述があった。

 シーボルトは、日本の蘭学に多大な影響を与えた医師であり、博物学者でもあり、長崎で鳴滝塾を開いた人物として記憶される。日本人に広く知られる、歴史上の偉人であることは紛れのない事実である。一方で、日本での具体的な活動を知る手がかりとなるような、シーボルト自身が残した史料は、存在しないのではないかと考えられていた。

 ところで、2023年はシーボルトが初来日してから、ちょうど200年という節目の年に当たっている。実は、筆者が勤務する神田外語大学とも縁が深い。というのも、2014年12月に本学の「神田佐野文庫」(洋学文庫)で見つかったのが、シーボルト自筆のオランダ語書簡であったからに他ならない。その発見により、シーボルトの日本での活動が初めて明らかにされたのだ。

 今回は、日本にとって極めて重要な人物であるシーボルトにフォーカスしたい。そして、神田外語大学で発見されたシーボルトの直筆書簡によって、日本での具体的な活動内容を紐解くことを3回シリーズで試みたい。