欧州委員会のウルズラ・フォンデアライエン委員長と頬にキスし合うウクライナのゼレンスキー大統領(ウクライナ大統領府のサイトより、11月4日撮影)

 パレスチナのガザ地区を実効支配するハマスとイスラエルとの紛争勃発で、世界の関心がロシア・ウクライナ紛争から遠ざかってしまった、と多々報じられている。

 一部のメディアは、ウクライナとその紛争に関する報道記事の数やSNSで触れられる回数の変化を調べ上げて、その実証にまでわざわざ及んでくれている。

ゼレンスキーが勇み足、支持失うきっかけに

 確かにこの新たな中東紛争は、ウクライナのV.ゼレンスキー政権にとって想定外だった。

 前回のこのコラムで触れたように、彼らの主張や要求に世界は疲れ飽きてきている。その流れを何とか押し戻そうと必死になっていた矢先に、折悪しくこの騒ぎの勃発である。

 10月7日にハマスがイスラエルを攻撃してから3週間ほど後に、マルタ島で第3回ウクライナ和平会議が開催された。

 ウクライナはここで多数の国々からの、自国の主張する和平案への同意取り付けを狙っていた。

 だが、今回は中国に参加を見送られ、その上、会議の共同声明を出すことにも失敗した。

 イスラエル・ハマス衝突問題に関する各国の見解相違が大きな雑音になったことも、その理由だったと伝えられる。

 この会議に前回を上回る66か国の代表が集まったことで、ウクライナ外相・D.クレバは、ウクライナへの関心が薄れているなどとは神話に過ぎない、と嘯いたが、何やらごまめの歯ぎしりめいて聞こえる。

 イスラエルがハマスの攻撃を受けると、ゼレンスキーはイスラエル訪問を即座に申し出た。

 攻撃された側の自衛権行使という立場をイスラエルと共有でき、方々イスラエルを支える米国への連帯を示す機会にもなる、と踏んだようだ。

 しかし、この申し出はイスラエル側からは断られる。

 国家存亡とまで思い詰めて事態への対応に没頭するイスラエルにとって、他国の政治宣伝の片棒を担いでいる閑などなかったのだろう。

 そして、ゼレンスキーがこのように動いてしまったために、ウクライナはその後の国際世論の批判を浴びるイスラエル側に付いた、と多くの国に看做されてしまうことになる。

 それが上述のウクライナ和平会議の結果にも表れたのかもしれない。