風情がある雪の小樽運河風情がある雪の小樽運河(写真:アフロ)

インバウンドの隆盛もあり、日本各地で観光客の目を引く取り組みが進んでいる。だが、流行に乗るだけで飽きられてしまうケースも少なくない。観光コンサルタントの久保健治氏は、地域が「代替可能な」コモディティに化すのではなく、ほかが真似のできないブランド化を目指すべきだと説く。日本を代表する観光名所となった小樽運河もブランド化に成功した例の一つだが、かつては街の衰退を象徴する場であった。

(*)本稿は『ヒストリカル・ブランディング 脱コモディティ化の地域ブランド論』(久保健治、角川新書)の一部を抜粋・再編集したものです。

ある時、臭いが消えた

「あれ、臭くない」

 私が、小樽運河の変化を感じた瞬間の記憶だ。

 両親が共に小樽出身であったので、幼少期には夏と年末年始に帰省していた。東京に生まれ育った私にとって、運河の風景は近所では見られないものであり、祖母の家に戻ってきたと感じる風景だった。

 ただ、幼少期の頃、運河はとても良い風景ではあるものの、臭いが強いものだったのだ。ところがある時、臭いが消えた事に気づいた。

 運河から臭いが消えたタイミングは、小樽が急速に観光地となっていった記憶と重なっており、帰るたびにまちが変化していることを強烈に感じさせた。いわば、私は幼少期に小樽というまちを定点観測していたともいえる。

 小樽に帰ると定番のコースがあった。母親に連れられて「あまとう」でクリームぜんざいを食べ、北一硝子を見に行き、運河を歩く。夕飯には「なると」で若鶏を食べ、最後は花園にあった祖母の家に帰宅する。このコースを必ず巡っていたが、帰省するたびに、どんどん人は増えていき、運河は綺麗になっていった。

 祖母が亡くなってから、定期的に帰ることはなくなったが、親戚の法事や仕事の出張で北海道へ行くたびに、私は小樽に立ち寄った。近年では、運河周辺の整備はさらに進んでおり、大きく変貌している。しかし、運河を見ると、記憶の風景は今でも甦る。運河は、私の中にある小樽の過去と現在の姿を繫ぐ存在だ。

 私は運河を基準に小樽というまちの変化を見つめていた。それは誰かに教わったわけでもなく、無意識にそうしていたのである。言い換えれば、運河を小樽の象徴として捉えていた。毎年のように風景が変わっても、私は運河を見ることで、このまちを小樽である、と認識していたのだ。