音楽サブスクの拡大によって音楽批評に対するニーズは減少している(写真:ロイター/アフロ)
  • クラシック音楽ファンの間で広く知られている「レコード芸術」の休刊が決まった。
  • 休刊に影響を与えているのが広がる音楽サブスクリプション(サブスク)。シャッフルされたBGMの中にアーティストの名前が溶解していくことで、「批評」に対する需要が消失したのだ。
  • CD(=パッケージメディア)の中でアーティストが表現してきた起承転結のドラマやアートワークの価値はもう理解されないのだろうか。

(林田 直樹:音楽ジャーナリスト・評論家)

「おいおい、それはちょっと……!」

 心あるクラシック音楽ファンであれば、身に覚えがあるはずだ。月刊誌「レコード芸術」の誌面を広げて眺める。気になるCDの批評を読む。なるほどと頷くこともあれば、反発を覚えて思わず声を上げることもある。

 当のアーティストやレコード会社の制作・宣伝担当者にしてみれば、心を込めて録音したCDを上から目線でばっさり貶されれば、相当なストレスを感じるに決まっている。ファンだって同じだ。

 だがその分、この雑誌は利用価値もあった。

 そのCDが「レコード芸術特選」のお墨付きをもらえれば、それは誇らしげに演奏家のプロフィールに書き加えられる。その特選盤の中から年に一度めでたく選ばれる「レコード・アカデミー賞」は、とびきり権威のある賞であり、それなりの影響力があった。

 いうなれば「レコード芸術」とは、クラシック音楽界において、週末のテレビ番組で「喝!」とか「あっぱれ!」とか言っているご意見番の年寄りのような存在でもあった。嫌われ者だけれど、気になる存在。

 大急ぎで付け加えなければいけないが、もちろん立派なアカデミックな批評の場ではあったし、厚みのある言葉もあった。ワイドショーと比較したら失礼だろう。

 ただ、それぞれの音楽評論家が「推薦」「準」といった印をつけるか無印で済ますかにおいて、広告主であるレコード会社に一切の忖度をしない公平な判断を目指すという意味では、比喩的にはそういう感じであった。

 言いたかったのは、物議を醸すことはあったにしても、やはり愛されていた雑誌だったということだ。いなくなってみればやっぱり寂しい。

 1952年創刊の月刊誌「レコード芸術」(音楽之友社)が休刊になるとこの春に突然発表されてから、その波紋は大きかった。継続を望む声が常連執筆者たちから挙がり、署名運動と嘆願書の提出もおこなわれた。

 それをまた新聞各紙が取り上げ、中には大きな紙面を割いて「岐路に立つ音楽批評」などといった記事を掲載するところすらあった。

 ともあれ、これは「レコ芸」(愛読者は略してこう呼ぶ)にとって大変名誉なことである。

 いま重要な雑誌がどんどん休刊の憂き目に遭っている中、これだけ波紋があるということは、愛されていたし必要とされていたことの証明に他ならないのだから。

休刊を惜しむファンの購入によって完売が続出した「レコード芸術」2023年7月号(最終号)