社長になることの価値は、時代でどのように変化したのか。

(篠原 信:農業研究者)

 職場でキャリア教育なるものがあった。「働くからには、人の上に立つことを目指せ!」というお話。裏を返せば、管理職になるのを希望しない人が増えていて、人選に困っている状況があるのでは、と感じたものだった。

 キャリアインデックスが2017年5月に実施した「有職者に向けた仕事に関する調査」によると、管理職になりたくない人は、20代男性で51.9%、30代男性で48.7%と約半数が、女性だと、20代で83.1%、30代で84.2%と、8割を超える結果を示しているという。

 ずいぶん世相が変わったものだ。俳優の植木等氏がチャランポランなサラリーマンを演じていた時代には、「俺もいつかは社長に」と、勤め人なら誰もが願っていたという。社長になればお金も権力もある。部下に威張って命令することもできる。一国一城の主。ある種、王様気分。何でも思うがまま。重責もあるかもしれないが、それに報いるのに余りある自由と金が手に入るのが社長なんだろうから、自分もそうなりたいと願っていたようだ。

 実際、一昔前までは、どのくらいの規模の企業に勤めていて、どのポストにいるかどうかで、その人物の軽重を計るのは、当然のことだった。「あの人は部長だけれど、小さな会社」「あの人は大企業だけれど、係長どまり」などといって、その人の軽重を云々する大人の話を、私も子どもながらに耳にしたものだ。

 しかし、いまは社会的地位を鼻にかけるのは、嫌われるというよりも不思議がられる。「いやそれ、私とあなたとの間で、何か関係がありますか?」と、首を傾げられる恐れがある。一応、すごいですねえ、と口では言ってもらえるかもしれないけれど、昔ほどには、社会的地位の高さで人をひれ伏せさせる力はない。

 これは、管理職を希望する人が減っていることと、おそらく関係がある現象だ。社会的地位の高さを評価する人は、もちろん現代でもたくさんいる。ただ、その色彩は明らかに薄まっている。何かが変化したのだ。いったい何が起きたのだろう?