「偉い人」から「エライ人」へ

 この変化は、会社の中でのマネジメントにも大きく影響するだろう。昔のように、出世するしか人的ネットワークを広げることができなかった時代なら、部下はみんな鼻息荒く、出世を希望したことだろう。そんな時代には、上司が少々傍若無人でも、部下の方がグッとこらえてくれたことだろう。部下が上司に気遣い、上司はワガママでいることができた。

 ところが現代は違う。別に無理して出世したいと思わない。もっといえば、今の会社に居続ける理由もない。だって、外に世界に人的ネットワークを築けるから。そうなると、上司は身勝手なことができない。いかに部下に楽しく仕事をしてもらえるかを考えなければならない。テレビでニュースを見ていると、「昔は部下が上司を気遣っていたけど、今は逆だもんな」と、中堅どころのサラリーマンの方が嘆いていたりする。そうなれば、会社でのマネジメントは大きく変化せざるを得ないだろう。

 こうなると、社長は必ずしも憧れの対象とはいえない。むしろ重責ばかりで、大変な仕事だという認識に変わる。憧れの対象から、うっかりすると、憐れみの対象へ。よくて、「エライこと頑張ってはりますわなあ」という、関西弁的な表現となる。すなわち、「そんな大変面倒なお仕事を、よくお引き受けなさって、エライですね」ということになる。

 社長は「偉い人」から、「エライ人」へ。エライという言葉には、「偉い」という意味もあるが、「つらい、大変」という意味もある。憧れが薄まった分、後者の意味が強まっているといえるだろう。

 会社の外に人的ネットワークを形成できる時代での、管理職への登用は、やり方を大きく変える必要があるのではないか。これまでは、「管理職にあこがれる人間はいくらでもいる」という前提で人選が行われていただろうが、これからはその考え方では厳しい。考え方を変える必要があるのかもしれない。

 私からの提案は、「管理職という、面倒だけれどみんなのために働く立場になってもらえないだろうか」という、「お願い」として捉えなおすことだ。事実、管理職はいまや、「権力を振るえる立場」というよりは、部下たちの利害を調整し、働く意欲を維持するというマネジメントの側面を強めている。「お世話をする立場」なのだ。

 それはみんな分かっているはずなのに、「みんな管理職になったら好きなことができるぞ」という旧時代の幻想をまだ引きずっているので、話しがややこしくなる。

 管理職は「偉い」というよりも、「エライ」仕事。だから、「お願い」する。この面倒でエライ立場を、引き受けてもらえないだろうか、と。