「管理職」というより「調整職」

 そうした視点で捉えなおすと、これからの管理職は、女性の方が向いているように思われてならない。男性よりも人間関係に敏感で、良好な関係を維持することに熱心な人が多い。また、育児を経験した人は、言うことを一切聞こうとしない、文字通り「頑是無い子ども」を、どうにかこうにか育ててきた経験と実績がある。このテクニックを部下の育成に生かさない手はない。

 ただし、女性は突出することを嫌う傾向がある。出る杭は打たれるということを恐れる人が多い。だから、管理職になることを「偉くなること」と捉えると、偉そうにしているように思われるのでは? 人的ネットワークをむしろ失うのでは? ということを恐れてしまう。だから、女性は管理職になることを、男性以上に忌避するのだろう。

 だから、管理職を「偉い」と捉えるのではなく、「エライ」と捉える企業文化に変えてはどうだろう。「あなたは人の気持ちが分かる人。慰めたり励ましたりするのも上手。どうかあなたに、この面倒なエライ仕事を引き受けてほしい」という形で、「お願い」するようにしてはいかがだろう。

「偉い」わけではなく「エライ」。そうしたコンセンサスを会社で共有すると、上司と部下を上下関係と捉えるのではなく、スタッフみんなの調整役、マネジャーとして捉えることができるだろう。多くの女性が恐れる、突出した立場ではなく、フラットな関係で、みんなが働きやすいように調整をする人。これなら、管理職を責任感から引き受けてもよい、と思う人が増えるのでは。

 だとすると、「管理職」という名前を改めたほうがよいのかもしれない。「調整職」とでも呼んだほうがよいだろうか。責任はあるが突出した存在ではなく、みんなのために調整を引き受けてくれる人。「エライ」仕事を引き受けている人。そう捉えると、女性は必ずしも就任を避けないだろうし、男性以上に向いている人が多いだろう。

 そして社長とは、最も責任のある「調整職」。「偉い」と勘違いするのではなく、「エライ」仕事を引き受けてくれている人、と捉えてはどうだろう。実際、優れた経営者は、偉そうにすることはまずなく、自分に与えられている責任の重さを感じ、謙虚な人が多い。「管理職」というより「調整職」であると考えているからだろう。

 社長は「偉い」のではなく「エライ」仕事を引き受けてくれている人。そういう文化が社会に根付いたとしたら、社長の評価というのは大きく変わるだろう。植木等氏の時代には「暴君になっても許される唯一の自由人」という評価だったのが、「あの人はエライ大変な仕事を引き受けた、本当に偉い人」というように。私には、前者に偉さをちっとも感じないが、後者は本当に偉いと思う。そういう時代が到来し始めたのかもしれない。