この写真は今回、話をうかがった安田信氏の奥方、幸子さんからこの日のアルバムを提供いただいた。幸子さん自身もこの大会に出場している。

朝鮮戦争で負傷した国連軍兵士の慰問金拠出と日米の交歓を目的に、パレス乗馬倶楽部で開催された、日米合同馬術大会。現在の二の丸庭園を含む大きな広場があり、ここで競技会が行われた。現天皇陛下の皇太子殿下も観戦されたこの大会には数千人のギャラリーが集まった。後にも先にも日本でもっとも華やかな馬術大会であったことはいうまでもない
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 左の写真を見ると、馬場の周りを黒い影が取り巻いている。これはけっして柵ではない。よく見れば人の姿が見えるはずだ。この日の観客は数千人と言われる。日本の警察とアメリカのMPが出動するほどの警備は皇室などのVIPが観戦に来ているからだ。この時は皇太子殿下も観戦されていた。

 戦後から5年、いまだ進駐軍の駐留の中、日本とアメリカが対等に馬術の腕を競い合い、多くの観客を集められるのは人も施設もパレス乗馬倶楽部だけであったろう。現在の日本ではなかなか目にできないインターナショナルな雰囲気の馬術大会が過去の日本にあるという不思議を感じる。

 このイベントが特別なものであることは、トロフィーのプレゼンターがマッカーサー夫人であることからも推測できる。

競技以外でもさまざまなアトラクションが披露された日米合同馬術大会。当時でもあまり披露されることがなかった「二頭並列飛越」の貴重な写真(右)。そして大会の審判席も国際色豊か。左の写真の右から二人目は、日本における西洋馬術の父と呼ばれた“遊佐 幸平”氏
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そして、夢の終焉

 1966(昭和41)年、パレス乗馬倶楽部を含む敷地は閣議決定で東御苑の造営のため移転を迫られた。倶楽部の会員であり当時の自民党幹事長、田中角栄氏の口利きで、移転先として世田谷の馬事公苑が選ばれた。しかし、パレス乗馬倶楽部の名は失われ、日本馬事振興会として生まれ変わることになる。

 城戸氏は引退し、馬事振興会の長として立ったのは印南氏だった。だが、馬を増やさないことを条件とするこの移転は倶楽部の存続を前提とはしていない。この時点で早晩、倶楽部の自然消滅の未来が見えていた。馬をほかのクラブに移すオーナー、職を離れる職員たち。やがてあの華やかな日々が幻だったかように静かに幕が引かれた。