飛行機の運航データには、客観データを蓄積するフライトレコーダーと、客観データを人間が解釈した主観データを蓄積するボイスレコーダーがあり、この2つを航空技術やオペレーションの向上に活用しています。機械から多くの情報を自動で大量に取得できるようになった医療現場も客観データと主観データの両方を蓄積することを大前提にして、レギュレーションから何から何まで全部書き換えていかないといけない時期に来ていると思います。

前田 琢磨氏
アイ・エム・エス・ジャパン株式会社
取締役 
テクノロジーソリューションズ担当 

前田 飛行機の例えは非常に分かり易いですね。一方医療機関を取り巻く環境はどうなるのでしょう。

黒田 センシング技術の発達で病院の外でもデータがつながり、自宅にいても生体情報を入手できるようになっていけば、病院に行かなくても検査・予診やある程度の治療が家庭でできるようになります。つまり、病院が社会の中に埋め込まれ、日常生活の中で医療サービスが受けられるようになります。社会全体が医療の現場になれば、電子カルテなどの病気の時の情報に加えて、健康な時の情報も全く同じ要領で得られるようになります。

現在、京都大学の川上浩司先生がライフコースデータの活用方法について研究されていますが、今後生活全体の現実世界、つまりリアルワールドとつながると、疫学のあり方も変わっていくかもしれません。

情報化と人間機械系システムに対応していくための
医療体制づくりの課題は

前田 そうした新しい医療体制づくりを進めていく上で、どんな課題があるでしょうか?

対談の様子  左側:前田 琢磨 氏  右側:黒田 知宏 氏

黒田 情報化に対応していく上で病院には課題が2つあります。1つ目は、正確なデータを負担無く収集する仕組みをどう整えるのか、2つ目は、大量に流入するデータを処理する負担を誰に担わせるのかです。1つ目の話をしますと、京大病院が2005年に電子カルテを導入した直後から「看護師が忙しくなった」という声が上がり、2011年にITシステムのリプレイスをした頃には、看護師さんは一日8時間勤務のうち6時間半くらいパソコンに向かっている様な状況になりました。

一方、看護必要度の仕組みが導入され、看護師は自分が忙しいことを示す記録をせっせと入力しなければならない状況に追い込まれています。何のためのデジタル化やデータ収集なのかです。入力負荷を軽減するとともに、正確に入力・記録すること自身にインセンティブがある仕組み作りが求められていると思います。

それは正に、VDTの狙いそのものです。2つ目の課題は、人間の容量を遥かに上回るデータの洪水の中で、それを正しく判断するという役割を医師一人に押し付けて良いのかという問題です。医療行為を医師のみに限定する現行日本の医師法に改め、診断や治療を機械や他の職種に手伝ってもらうための法制度整備や社会的コンセンサスの醸成も求められていくのではないでしょうか。

前田 先ほど飛行機の話がでましたが、操縦士や管制官は自機の進路、スピード、高度、他機の位置、天候など多くの情報を処理しなければいけません。それを容易化するために長い歴史を経てきました。

黒田 これまでのプロセスでいっぱい試行錯誤していますからね。初期のコックピットなんてスイッチやモニターがたくさんありすぎて、「どれ見んねん」という状態が起こる。今のコックピットはパネル一枚ですよね。コンピュータが解釈をしてインデックスにして出しているんです。でも、切り替えた当初にはインデックスエラーが事故を引き起こした場合もあった。人間と機械が共存して仕事をするための仕掛けになるまで、航空業界は30年くらいかけて様々な体験をしてきたんです。

前田 パイロットの中でも感覚的に「機械の微細な異常」というのが分かる人と分からない人に別れ、分かる人はやはり原理を知っているのだそうです。だから違和感があるときに、もしかしたらこういうことが起きているんじゃないかと仮説が立てられるんですね。原理を理解していない人は鵜呑みにしてしまう。

黒田 機械と人が正しくコミュニケーションできていないと、正しいデータが生まれてこない。さらにAIが入ってきてデータを解釈し始めたら、いったいどういうロジックでどんな解釈をしているのかをしっかり分かったうえで活用しないといけないですね。

前田 ボイスレコーダーの話ですけど、パイロットと管制官のコミュニケーションの仕方は、国際民間航空機関(ICAO)という組織がその標準を定めているそうです。たとえば管制官が「All Nippon 38, wind 220 degrees 8 knots, Runway 24 cleared for take-off」というのに対してパイロットが「All Nippon 38, Runway 24 cleared for take-off」と答えるといったコミュニケーションのルールです。

飛行機は地球上のあらゆる空を交錯し、完全に多国籍なのに、パイロットと管制官のコミュニケーションは万国共通でなければならないわけです。いったんその言い回しを決めておくことで、事故を防ぐことができますし、事故が起きてしまった場合でも課題抽出や解析がより容易になります。

黒田 飛行機の機長と副操縦士の関係も同様で、一人は制御、もう一人はモニターをしているんです。モニターをしている人が喋ったことを受けて、制御の人が「確かにそうだ」と確認して操作する。そこに必ず発話というプロトコルがあるんですね。だから認識はすべて記録されるはずで、「認識していても発話していない」のも事故ですし、「認識していない」ことも事故になるというレギュレーションがあるんです。

前田 今後、遠隔医療がさらに浸透すると、お互い遠隔にいる医療従事者間のコミュニケーションにも航空業界で使われているような標準コミュニケーションを制定する必要性も議論されてくるかもしれないですね。