参議院東京選挙区の大きな話題として、なぜか3.11福島第一原子力発電所事故以降のSPEEDI(スピーディ)データの公開時期などの論点に注目が集まっています。いまここでは、特定の候補や政党の名には一切触れず、この問題を外側から冷静に観察してみたいと思います。
まず何より最初に不思議に思うのは、こういう議論で白熱するのは東京の現象で、被災地ではこの種の話はほとんど耳にしません。それがどうして遠方の東京でこれが問題になるのか、不自然なものを感じます。
実際に被災者からクレームが来るというのであれば、それはそれで大いに分かるのですが、3.11以来、相馬市や南相馬市で一貫して臨床現場で責任を果たしている上昌広・東大医科研教授なども言及しているとおり、現地で皆が心配しているのは自分自身、また家族の健康であり、これからの生活で、シミュレーションや数値を問題にする声はほとんど聞かれません。
つまり、遠方では選挙の争点になるほど白熱の議論があっても、本当の当事者たちとはほとんど一切関係のない、アーティフィシャルな政争になっている可能性がある。
地震、津波、原発事故のいずれでも、こうした被災地現地の実情に沿わず、中央で別の話題が取り上げられ、それで大きく物事が動くという傾向を、私は大きく問題だと思っています。
しかし、例えば大学で毎月、関連の公開講座などを開いていても思うのは、被災地に赴いた経験がない人も、べき論的な議論の場には参加する場合が多いのに対して、現地の臨床データに基づく地道な話、特にホールボディカウンター検診結果の経時変化など、グラフや数値、さらには測定装置などが出てくる「理科」っぽい回は、目に見えて参加者の数が減り、難しいことは分からないから、といった反応が少なくありません。
こういう部分を、日本の今後を考えるうえで、私は一番強く憂えています。
コンピューター占いとしてのシミュレーション
具体的な例を挙げて考えてみます。例えばSPEEDIから得られた初期の「データ」(という言葉がそもそも限りなく科学的には間違いなのですが)を伏せた、その結果を生かさなかったために被害が出た、と被災地外で被災者・疎開者などでない人が強調する、非常に感情的な議論を目にしました。
私は「データ」は信用しますが「シミュレーション」は全く信用しません。どういうことかと言うと、「データ」とは、例えば体温計で私の熱を測ればデータですし、胃カメラで検査してもデータが得られます。これらは、機器の精度さえ高ければ信用に価し、私の健康を維持管理するのに役立つでしょう。
これに対してシミュレーションというのは、現実に測定された一部の「データ」を基に、そこから先を「予測」する「試算結果」で、実は実測値と全く異なるもので、信用できるデータを信用できるシステムに入れれば、何らかの信頼できる「試算結果」が出る場合もあると思います。が、そうでないものは全く信用に足る根拠がない。
株価予測のシミュレーションを想起するなら「試算」という意味がよりクリアになるかもしれません。
例えば、今日私が食べたものの全体と、運動した全体の「データ」をインプットしたら、どれくらいのカロリーを体内に取り込み、そのうちどれだけを消費し、結果どれくらい太る可能性があるか、というコンピューターの「シミュレーション」があったとします。