前回に引き続き、福島県庁に災害対策本部を訪ねた取材の結果(2012年1月上旬)を報告する。
取材に応えた担当者は、名刺を交換したうえで、災害対策本部の話として書いてもいいが、個人名は伏せてほしいと私に依頼した。県庁職員の氏名にニュース価値はないので、それに沿う。
質問は主に2点である。
(1)地元で行われていた原子力災害を想定した避難訓練の内容。
(2)原発事故が起きた場合の放射性物質の流れを予測し、住民を避難させるためのシステム「SPEEDI」は生きていたのか。その情報を福島県庁はどう扱ったのか。避難に役立ったのか。
放射性物質は「すーっと消える」はずだった
私は福島第一原発の地元、双葉町の井戸川克隆町長が「3月12日の水素爆発の数分後、町内に降下物が降ったのを目撃した」と話をしていたことを思い出し、福島県災害対策本部の担当者にその話を伝えてみた。
──放射性降下物を住民が浴びて被曝する被害を想定していなかったのですか。
「そうです。『(放射性物質は)出て、すーっと消えた』という想定になっていました」
──それは、甘すぎるというより、おめでたすぎませんか。
「というより、事故も数時間で収束することになっていましたから。雨が降ることも想定していません。つまり地面に落ちない、沈着しないことになっていた」
──地元に不安はなかったのですか。
「なかったんじゃないかなあ。国も私たちも、原子力発電所事故が(地震、津波)自然災害との複合災害として起きるとは考えていなかったのです。起きた今となっては『言われてみれば、その通りでした』としか言いようがないのですが・・・」
──直近の訓練の内容を教えてください。