「ERSS(緊急時対策支援システム)/SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」などの設計、改良や運用に携わった松野元さんにインタビューした話はすで本欄で書いた。その著作『原子力防災』には2006年の時点で福島第一原発事故の可能性や、それが起きた場合の避難の方針がきめ細かく述べられていた。

 松野さんに取材した時に「もう1人、同じように原発事故に備えた防災システムの設計に関わった人で、危険を警告していた人がいるので、探して取材するといい」と勧められた。それが永嶋國雄さん(71)だった。『原子力防災』の共著者になるはずだったとも教えられた。

 ずっと連絡先を探していたのだが、見つからなかった。それが最近になって偶然フェイスブックで連絡が取れた。面会したい旨を連絡したら、快諾してもらえた。9月に横浜市郊外の住宅街にあるご自宅を訪ね、4時間近く話を聞いた。

 その内容は、松野さんの話に負けず劣らず衝撃的だった。3.11当時の政府の失敗や隠蔽、事故調査委員会の調査不足など、まだ表に出ていない話がごろごろ出てきたからだ。要旨を先に述べる。

(A)ERSSがダウンして原子炉のリアルタイムのデータが取れなくても、そういう場合のバックアップシミュレーションとして「PBS」(プラント解析システム:Plant Behavior System)が用意されていた。原子力安全・保安院に担当する部署があった。

(B)PBSは、福島第一発電所の原子炉別に(事故のあった1~4号機も)事故のパターンによってメルトダウンや放射能放出量の予測を済ませてデータベースとして記録している。それをDVD-ROMに記録してある。普通のウィンドウズパソコンで計算できる。

(C)PBSを起動して計算したデータを使えば、SPEEDIを動かすことができた。放射能雲が流れる方向や距離を予測できた。住民の避難に使えた。

(D)原子力安全・保安院はPBSとSPEEDIを連動して使わなかったか、使ったがそのデータを公表しないか、どちらかである。「意図的に使わなかった」のか「使おうとしたが、接続できなかった」のか、など理由は不明である。

(E)原子力安全・保安院はPBSの存在について積極的には言及していない。公表しない。理由は分からない。

(F)しかし、原子力安全・保安院は間違いなくPBSの存在を知っていた。しかも、起動していた。証拠は、3月11日に動かした予測結果を首相官邸に報告したことが分かっていることだ。福山哲郎官房副長官(当時)は「(3月11日午後10時44分、保安院が)『福島第一 2号機の今後の進展について』と題するペーパーを官邸の危機管理センターに報告した。それはプラント解析システムによって今後、2号機がどうなっていくのかを予測していた」と明記している(『原発危機 官邸からの証言』福山哲郎著、ちくま新書、46ページ)。住民避難に使わなかった。

(G)国会事故調査委員会の最終報告書はPBSの存在すら指摘していない。ERSS/SPEEDIの機能について熟知した形跡がない。住民避難の失敗について、責任がどこにあるのか、まだ調査が足りない。

(H)福山官房副長官(3.11当時)も、烏賀陽とのインタビューで、PBSの存在や機能を知らなかった。「SPEEDIは原子炉のリアルタイムのデータがないと動かない・役に立たない」と誤解したままだった。SPEEDIを動かすことができるPBS=自著に出てくるプラント解析システムとは理解していなかった。当時、菅直人首相の補佐官だった細野豪志衆議院議員の回顧録『証言』(講談社)でも、細野氏はこうしたPBS~ERSS/SPEEDIの機能について触れていない。知らないままの可能性が高い。

 政府の失敗や隠蔽を示唆する重要な内容なので、注釈をはさみながら、永嶋さんとの一問一答をそのまま3回にわたって収録する。

シビアアクシデント発生時の分析と検証は行われていた

──原発事故時の予測システムの開発に関わられた経緯を教えてください。

 「私は元々通産省の外郭団体『原子力発電技術機構』で働いていました。1995年ごろからPBSの話も出ています。その開発をしていました」