前回「シミュレーション」という科学の手法に触れたところ、ネット上で様々な反応をいただきました。ありがとうございました。
特に参考になったのは、基本的な誤読の数々です。科学者全体が常識として前提にしていることで、普段気にしない根本的な誤解を各種拝見し、むしろなるほどと勉強になりました。
この検討は意味があると思いますので、補講のような形で今回はお話ししてみたいと思います。
論旨が明快なように、最初に分かりやすい話をしましょう。いまだかつて自然科学系のノーベル賞が純然たるシミュレーション業績に与えられたことはないし、今後も決してそんなことはないでしょう。
またここで「“自然”科学」としたのは、社会科学のノーベル賞、具体的には「ノーベル経済学賞」については、今後の可能性が考えられるからで、これについては末尾に記します。
さて、ではなぜシミュレーションでは理科のノーベル賞は出ないのか? 具体的に考えてみましょう。
シミュレーション業績でノーベル賞は出ない
そもそもこの「シミュレーション」ですが、質の良いシミュレーションもあれば問題のあるものもあります。学位審査などしてみると分かりますが、学生の作るものなど、実に千差万別です。
もちろんSPEEDIのように多くのプロが責任を持って当たるものでは、後述するプログラムのバグなどは少ないと思います。でも、これに関連する査読などする場合には、すべてを毎回基本チェックからするのが、科学の基本的な立場です。
ここで1つクイズ形式で考えてみます。いったい「シミュレーション」の成否、つまり「良し悪し」って、どうやって判断するのでしょう?
と言って、ぴんとこない方もあって当然ですので、これを身近な例で考えてみます。
例えば「天気予報」というのも立派な「シミュレーション」の1つです。お金もかかった、プロがたくさん仕事として張り付いている「シミュレーション」で、基本ミスは少ないと考えられる。それでも当たらないことは日常茶飯ですよね。
シミュレーション、つまり似たもの「シミラー」なものをコンピューターその他の機器を活用して仮想的に作り出し、そこから未知の結果を予測するもので、天気の「予測」は典型例と言えるものです。
ちなみに、レベルの低い余談で恐縮なのですがこれを「シュミレーション」と書く人がけっこういます。「シュミ」じゃなくて「Simulation」、「シミュ」ですので、まずそんなところからも指摘しておきましょう。