体調不良の銀行家を喜ばせた「ドリア」

西洋料理の巨匠が横浜で考案

2013.02.08(Fri) 澁川 祐子
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 焦げ目がついたチーズの香ばしい匂い。ふつふつと音を立てるホワイトソース。スプーンを皿の底まで一気に差し込み、ぐっと持ちあげる。ホワイトソースとご飯がほどよく混ざり合って、スプーンの上で湯気を立てる。

 いつも念には念を入れて、フーフーと息を吹きかけながら食べるのだが、それでも口に入れるとやっぱり熱い。かといって、冷めるのを待って食べるだけの辛抱もない。結局、口中を火傷しながら、ハフハフと食べることになる。

 熱々のドリアは、寒い日のごちそうだ。だが、近頃はドリアを出す店が少なくなったと、ドリア好きの友人が嘆いていた。確かに以前は喫茶店(カフェではない)のメニューで、「ナポリタン」などと並んで「ドリア」とあるのをよく見かけた。

 ドリアをつくるには、ホワイトソースをつくったり、オーブンで焼いたりして、手間と時間がかかる。しかも、夏場にはそれほど数が出ないメニューだろう。だからなのか、個人経営の店では敬遠されるようになったのかもしれない。

 最近では、ドリアが食べられる店というと、洋食屋かファミレスということになるだろうか。

 同じくホワイトソースを使ったマカロニグラタンから連想するに、なんとなくイタリア料理っぽいイメージがあるが、イタリアンの店にドリアがあるかといえば、そうでもない。リゾットは必ずあっても、ドリアがあるとは限らない。

 ではホワイトソースを生み出したフランス料理の店に置いてあるかといえば、これまた違う。グラタンはあっても、ドリアをメニューに見かけた記憶はない。

 となると、一体この料理はどこの国で生まれたものなのか。喫茶店や洋食屋、ファミレスとくれば、もしかしたら日本生まれなのだろうか。

ライス入りグラタンを考案したフランス料理シェフ

横浜のホテルニューグランド

 調べてみると、いともあっさりと「日本で生まれた料理である」という結論に行き当たってしまった。

 考案したのは、サリー・ワイルというスイス出身のフランス料理のシェフだ。1927(昭和2)年、関東大震災後の横浜にオープンしたホテルニューグランドで初代総料理長を務め、本連載のナポリタンの回でもすでに登場している人物である。

 ドリアは、そのワイルが1930(昭和5)年頃につくった創作メニューだという。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。