また世の中を渡っていくのは、とても難しいことではあるけれども、『論語』をよく読んで味わうようにすれば、大きなヒントも得られるものである。だからわたしは、普段から孔子の教えを尊敬し、信ずると同時に、『論語』を社会で生きていくための絶対の教えとして、常に自分の傍から離したことはない。

 わが国でも賢人や豪傑はたくさんいる。そのなかでも最も戦争が上手であり、世間とつきあっていく道に秀でていたのが徳川家康公である。世間とのつきあい方がうまかったからこそ、多くの英雄や豪傑がひれ伏し、15代続く徳川幕府を開くことができた。だから200年余りの間、人々が枕を高くして寝ることができた。これは素晴らしい偉業である。

 そんな世間とのつきあい方のうまい家康公であるから、いろいろな教訓を遺している。徳川家康の遺言として有名な『神君遺訓〔しんくんいくん〕』(13)なども、われわれが参考とすべき世間とのつきあい方が、実によく説かれている。そして、そんな『神君遺訓』を私が『論語』と照らし合わせて見ると、とてもよく符合しているのだ。やはり大部分は『論語』から出たものだということがわかった。

 たとえば、「人の一生は重荷を背負って、遠い道のりを行くようなもの」 とあるのは、『論語』の、

「指導的立場にある人物は、広い視野と強い意志力を持たなければならない。なぜなら、責任が重く、道も遠いからである。なにしろ、仁の実現をわが仕事とするのだ。重い責任と言わざるを得ないではないか。さらに、そういう責任を背負って死ぬまで歩き続けるのだ。遠い道と言わざるを得ないではないか」(14)

 という曾子〔そうし〕(15)の言葉と重なり合ってくる。

 また遺訓にある、「自分を責めて人を責めるな」というのは『論語』の、「自分が立とうと思ったら、まず人を立たせてやる。自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる」(16)という句の意味からとったものだ。

 さらに、「足りないことは、多すぎることより優れている」 というのも、「行きすぎも不足も似たようなものだ」(17)という孔子の教えと一致している。

 家康が、「我慢することは無事に長く平穏でいるもと。怒りは敵と思え」と述べた部分も『論語』にある、「自分に打ち克って、礼に従う」(18)という意味からとったものだ。

「人はひたすら身のほどを知るべきだ。草の葉にある露も、重いと落ちてしまう」とは、自分の社会的役割を自覚し、果たせということであり、また、「不自由が当たり前だと思えば不満はなくなる。心に欲望が起こったら困窮していた時のことを思い出すべきだ」「勝つことばかりを知って、負けることを知らないと、危害を身に受けることになる」というのと同じ意味の言葉は、『論語』の各章で何度も繰り返し説かれている。

 家康公が世間とのつきあい方に秀でていたことと、200年余りの徳川幕府を開かれたことは、そのほとんどが『論語』の教えから来ているのである。

(13)『東照公遺訓〔とうしょうこういくん〕』ともいう。現代では偽作とする見方が有力で、徳川光圀〔みつくに〕作という説もある。儒教が江戸幕府に定着し始めたのも、実際には五代将軍綱吉の頃からと言われている。
(14)『論語』泰伯編7 士は以〔もつ〕て弘毅〔こうき〕ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己〔おのれ〕が任となす。また重からずや。死して後已〔や〕む。また遠からずや。
(15)前505~前436 名は参〔しん〕。孔子の死後、魯の国における孔子学派を引き継いだ。
(16)『論語』雍也篇30 己〔おの〕れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達す。
(17)『論語』先進篇16 過ぎたるは、なお及ばざるがごとし。
(18)『論語』顔淵篇1 克己復礼〔こっきふくれい〕。

<連載ラインアップ>
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■第2回 なぜ道徳の書で「商人の才覚」が学べるのか?渋沢栄一が語る「士魂商才」とは(本稿)
■第3回 自分ではどうにもできない…逆境に立たされた渋沢栄一が考えた「唯一の策」とは?(10月29日公開)
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