
イノベーションとは、必ずしも壮大な目標や崇高な理念の下で生まれるものではなく、選ばれし一部の人間によって成し遂げられるものでもない。課題解決方法の改善と挑戦という身近な取り組みこそが、イノベーションの実現につながる。本稿では、世界的な経営大学院INSEADの元エグゼクティブ教育学部長であり、一橋大学で経営学を学んだ知日家としても知られるベン・M・ベンサウ氏の著書『血肉化するイノベーション――革新を実現する組織を創る』(ベン・M・ベンサウ著、軽部大、山田仁一郎訳/中央経済社)から内容の一部を抜粋・再編集。W.L.ゴア、サムスン、IBMなど世界的な大企業がどのように障害を乗り越え革新をもたらしたかについて、その実行プロセスからひもとく。
テフロンやゴアテックスで知られる素材メーカーW.L.ゴア。イノベーションの創出に必要不可欠だという「業務遂行エンジン」と「革新実現エンジン」を同時稼働させる両利きの組織とは?
業務遂行と革新実現

素材メーカーであるW.L.ゴア社は、破天荒なエンジニアのウィルバート・ゴアとその妻ジュヌヴィエーヴによって1958年に設立された。2人はビルとヴィエーヴ(Bill and Vieve)の名で知られている。
ビル・ゴアは、当時ほとんど知られていなかったポリテトラフルオロエチレン(PTFE)という物質の革新的な可能性に魅了されていた。数年後、PTFEはテフロンというブランド名を持ち、調理器具のコーティング材料として有名になる。しかしその一方で、ビル・ゴアと息子のボブは、研究室でPTFEを「延伸」し、70%が空気の微多孔構造を形成できることを発見していた。
ゴア夫妻は、その後PTFEをGORE-TEX(ゴアテックス)として商品化した。ゴアテックスは、防水性と通気性を併せ持ち、全天候型の衣服を作るのに理想的な高分子分離膜素材である。この素材は今日に至るまで、アウトドアウェアの金字塔とされている。ゴアテックスの用途はほかにも数多く見つかっており、メッシュや縫合糸などの医療器具から、中世の壊れやすい装飾写本を保存するためのラミネートまで多様に存在する。
当時から数えること数十年にわたり、ゴアは素材の創造的な新用途を発見することで成長してきた。ゴアテックスだけでなく、近代的な化学的手法で作られた他の素材に至るまで、その種類は広がり続けている。イノベーションの成功という輝かしい実績は、創業者であるゴア夫妻が掲げた理念や実践に根ざしたものであり、それは今日に至るまで同社に息づいている。