民間企業によるロケット開発、人工衛星を利用した通信サービス、宇宙旅行など、大企業からベンチャー企業まで、世界のさまざまな企業が競争を繰り広げる宇宙産業。2040年には世界の市場規模が1兆ドルを超えるという予測もあり、成長期待がますます高まっている。本連載では、宇宙関連の著書が多数ある著述家、編集者の鈴木喜生氏が、今注目すべき世界の宇宙ビジネスの動向をタイムリーに解説。
第9回は、堀江貴文氏が「九州宇宙ビジネスキャラバン2024北九州」で語った、日本が誇れる宇宙産業のサプライチェーンの強みを紹介する。
堀江貴文氏が「九州宇宙ビジネスキャラバン2024北九州」で語ったこと
日本の民間単独開発のロケットとして初めて宇宙に到達した「宇宙品質にシフトMOMO3号機」は、インターステラテクノロジズ(北海道広尾郡)によって開発され、2019年に打ち上げられた。堀江貴文氏がファウンダーを務める同社は今、次世代機となる小型人工衛星打ち上げロケット「ZERO」を開発中であり、2024年度以降の初号機打ち上げを目指している。
堀江氏は、2024年8月に福岡県北九州市で開催された宇宙ビジネス振興イベント「九州宇宙ビジネスキャラバン2024北九州」に登壇し、インターステラテクノロジズの展望と、国内宇宙産業におけるサプライチェーンの重要性を説明した。当記事では、以下にその講演を要約して掲載する。
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戦争に負けた日本は、GHQ(連合国最高司令部)によって航空機の製造が約7年間禁止されました。この時間は、日本の航空機の技術継承やサプライチェーンを断ち切るには十分な時間であり、実際、戦後に行き場を失った航空技術者たちは、その活躍の場を自動車産業や鉄道に移していきました。
ただし、私たちの先人たちは創意工夫を重ね、米国の航空技術を日本に導入することに注力してきました。米国にライセンス生産の許可を得ることで、その時々の最新鋭戦闘機などの技術の一部が提供され、その結果、日本は機体の多くの部分を国内生産するに至り、その技術が国内に蓄積されたのです。現在ではミサイルや民間機の主要部分なども国内で製造されています。
一方、日本のロケット開発は、戦後まもなく東京大学の糸川英夫博士によって開始されました。「ロケットは飛行機ではない」との解釈から、ペンシルロケットに始まるロケット開発が日本独自に進められたのです。
糸川博士は戦時中、中島飛行機に所属していましたが、その技術はプリンス自動車工業や日産自動車、さらにIHIエアロスペースなどに伝承され、その約80年の間に、カッパロケット、ラムダロケット、ミューロケット、そして現行のイプシロンなど、国産の固体燃料ロケットが開発されてきたのです。
また、日本の液体燃料ロケットの源流はジェット戦闘機と同様、米国製ロケットのライセンス生産を端緒としますが、それをさらに発展させたH-ⅡロケットやH3ロケットは、日本が独自に開発したロケットと言えます。こうして発展してきた日本の国産ロケットのサプライチェーンは固体燃料ロケットも含めて、多くの部分が国内で完結しています。これは日本の宇宙産業において非常に重要な点と言えます。