ファナック FA研究開発統括本部 本部長の野田浩氏(撮影:川口紘)

 1972年に富士通の一部門が独立して誕生したファナック(当時は富士通ファナック)。それから50年以上が経ち、同社は工作機械用のCNC(コンピュータ数値制御)装置で国内・海外でトップクラスのシェアを保持する企業となった。どのような道のりで技術力を積み重ねてきたのか。何が同社の競争力を生んだのか。ファナック FA研究開発統括本部長の野田浩氏に尋ねた。(後編/全2回)

富士通の歴史に刻まれるプロジェクトがファナックの源流

 ファナックのルーツは、富士通のNC部門にある。NCとは「数値制御」のことで、簡単に言えば、それまで職人が手動で制御していた工作機械を電子制御に置き換える技術だ。それが発展し、現在はコンピュータによって制御を行うCNC(コンピュータ数値制御)が普及している(詳しくは前編参照)。

 NCの考え方が出てきたのは1952年にまでさかのぼる。アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)で試作された「NCフライス盤」がその始まりとされる。

 それから3年後の1955年、富士通(当時の富士通信機製造)に「コントロール」をテーマにしたプロジェクトが発足した。これが17年後のファナック誕生につながっていく。

 当時、富士通ではこれからの時代を担う事業として「コミュニケーション」「コンピュータ」「コントロール」を掲げた。そうして、これら3つを推進するプロジェクトを立ち上げた。「コンピュータ」では、後に日本のコンピュータ開発をけん引する池田敏雄氏がリーダーを務めるなど、富士通の歴史においても重要な取り組みに位置付けられている。

 この時「コントロール」のリーダーに指名されたのが、後にファナックの実質的創業者となった故・稲葉清右衛門氏だった。「コントロールといってもどのような事業を手掛けるか決まっていたわけではなく、まずは何をすべきか模索するところから始まったようです」(野田氏、以下同)。

ファナックの実質的創業者となった故・稲葉清右衛門氏(提供:ファナック)

 その中で稲葉氏が目にしたMITのレポートに、NCに関する記述があったという。そしてこれを「コントロール」プロジェクトの軸に据えた。「ただし当時はMITレポートの他にNCの資料がほとんどなく、根本となる技術を自分たちで考えるしかなかったといわれています」。プロジェクトのもとに集まった機械と電気の技術者が試行錯誤する日々が続いた。

 そうして1956年に民間企業として日本で初めてNC装置を開発、1958年には富士通と牧野フライス製作所が共同でNCフライス盤を製造して大阪国際見本市に出品した。「これが日本初の商用NC工作機械と位置付けられています」。その後、1960年代、1970年代と富士通のNC事業は発展していった。

日本で最初のNC装置(右側)とタレットパンチプレス(左側)(提供:ファナック)