情報通信が世の中を変えるとの予兆をいち早く読み取り、30代でソフト会社CSKを起業、20年で業界トップに成長させた大川功氏は一代にして莫大な資産を築く。そしてその資産を、自身が目をつけた人材に惜しげもなく注ぎ込む、経営者たちにとってのパトロンでもあった。
『ウォークマン』やスマートフォンの登場によって、好きな音楽がいつでもどこでも楽しめる。宅配便を使えば大半の地域に翌日、荷物を届けることもできる──。こんな当たり前の生活は、一昔前には思いも寄らないことでした。それを可能にしたのは、日本企業史に名を刻む経営者の並々ならぬイノベーションへの執念でした。本特集では、日本人のライフスタイルを変えた「変革者たち」の生き様に迫ります。
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「サラ金批判」も承知の上で武富士を救う
今回の主人公は大川功氏(1926年─2001年)。CSKの創業者だ。CSKは独立系ソフト会社の最大手だった会社で、1980年に業界初のIPOを果たし、グループ売り上げは一時1兆円に迫った。
しかしバブル経済崩壊後、企業の情報化投資が低調になり業績が悪化。それを補おうと金融や不動産投資を強化したがそれもうまくいかず、2011年住商情報システムと合併しSCSKと社名を変える。事実上、住友情報システムによる救済合併だった。
大川氏が鬼籍に入ってから間もなく四半世紀がたつ。大川氏のことを知っている人も少なくなった。当連載「イノベーターたちの日本企業史」では過去に9人の経営者が登場したが、その9人と比べても大川氏の知名度は大きく落ちる。
それでも記事で取り上げるのは、大川氏こそが実業界における戦後日本最大のパトロンだったからだ。一代にして業界トップ企業をつくった手腕も見事だったが、それ以上に、これぞと見込んだ経営者には支援を惜しまない、その生き様を知ってほしいと考えたためだ。
かつて武富士という会社があった。消費者金融(サラ金)の最大手で、大勢の女性がダンスを踊るテレビCMを大量に流していた。創業者は武井保雄氏。30代を過ぎてから団地の主婦を対象に貸金業を始め、瞬く間に業界1位に躍り出た。武井氏は「サラ金の帝王」と呼ばれていた。
武富士に限らず消費者金融各社は2000年代に入り過払い金返済訴訟を起こされ業績を悪化させていく。武富士もそれにより倒産するのだが、それ以前にもピンチがあった。
1980年代、サラ金は社会問題化していた。高い金利、厳しい取り立てなどで自殺者も相次いだことで批判が噴出した。そのためサラ金に対して資金を供給していた金融機関も、融資を絞らざるを得なくなった。サラ金、そして武井氏にしてみれば、水道の蛇口を締められたようなものである。
これを救ったのが大川氏だった。資金ショートのピンチを迎えた武富士に対し、大川氏は100億円単位の資金を提供したと言われている。大川氏とてサラ金批判は承知の上。それでもめっぽう数字に明るく、他の人にはない発想力と行動力を持つ武井氏が、このままつぶれてしまうのは惜しいと考えたのだろう。
あるいは、大川氏も武井氏も30代になってから会社を立ち上げ、それぞれその業界でトップに立ったところにシンパシーを感じていたのかもしれない。もちろん、少し手を貸してあげれば、武井氏ならこの危機を乗り切れる。そうなれば大きなリターンを生む、という投資家としての読みもあったはずだ。
筆者が大川氏の死後に武井氏に話を聞いた時も、「大川さんには感謝してもし切れない」と語る一方で、「そのぶん、十分なお礼をさせてもらった。大川さんにとっても“おいしい”ディールだった」と語っていた。