その商品に魅力があるとか、会社で働いていること自体がおもしろいというのは、プロジェクト制とか、SEDシステムといった「横軸」のやり方なんですね。

 僕はその縦軸と横軸とが、時代を見ながら90度ずつゴロゴロと回転していくことが大切だと考えています。そしてそれができるのはトップマネジメントしかないんですよ。その会社がおもしろいなとか、いつまでもあってもらいたいと社会から思ってもらえるような会社にしたいなら、絶えず組織を動かしていかないといけません。

柳井 それはとても大事なことですね。我々の会社がモットーとしているのは「全員経営」と「グローバル・ワン」です。世界中で一番いい方法で経営をしていく、と。

 世界に出ていくと、中国はこうだとか、フランスはこれが特長だ、米国はそうじゃないとか、もう言われたい放題です。でもそういうことを全部度外視して、世界中で一番いい方法で我々はやっていこう。それもたった1つの方法でやっていこうと。

 いままでの企業は、外国へ出たら、それぞれのローカルに合わせたやり方でいこうという姿勢でした。でも我々は、グローバル時代における初めてのグローバル企業になりたいと思っているんです。

 我々が目指すのは、世界中で通用する商品であり、人材であり、組織であり、やり方。中国で売る商品もアメリカで売る商品も全部一緒。たぶん本田さんもドラッカーも、最終的には全員経営で、グローバル・ワンを目指してたんじゃないかと僕は思うんです。だからそういうことを我々のビジネスで、ぜひ実現したいなと思います。

松明は自分の手で持て

岩倉 大切なのは、そうなりたいと想う心であり、志ですよね。本田さんと藤沢さんはそれぞれ立派なご本を出しておられますが、藤沢さんは『松明(たいまつ)は自分の手で』と『経営に終わりはない』という題をつけておられます。自分で意志を持って松明をかざし、その場を照らす。そしてそれを継続してやっていくんだと主張されている。

 本田さんは『得手(えて)に帆あげて』とか『私の手が語る』とか、いずれにせよ、“手”なんですよね。

 手というのは技術の世界、松明をかざすのも自分の手でやるわけで、やっぱり自分の手から離れたようなものじゃいけない、ということでしょう。

 本田さんもドラッカーも、松明を自分の手から離さずに自分の足元を照らし、周りを照らし、皆を引っ張っていく、そういう「立志照隅(りっししょうぐう)」といえる生き方をしてこられた人なんだろうなと思いますね。

柳井 いいお話です。僕はドラッカーにせよ本田さんにせよ、すごくいい「想い」を持っていたと思うんですよ。そしてその想いに共鳴する人がどんどん増えていった。

 特に本田さんは本当に小さな工場の中で、もともとは車なんかつくっていなかったのに「自分はこういうふうにするんだ」という志を立ててそれを皆に宣言し、そのとおりに実行した。そこに「だったら自分も一緒にその夢を追おう」という人が、世界中から集まってきたんじゃないかと思うんです。

「立志照隅」というと、何か古い言葉のようですが、僕は現在のほうがよりこういう世界になってきているんじゃないかと思うんです。

 というのは、インターネットでこういうことをしたいと主張したら、世界中の人々がそれを見て、だったらこういう協力をしましょうといった動きにもなるでしょう。

岩倉 言われてみればそうですね。

柳井 うちの会社も、もともとは田舎の商店街にあった零細企業です。でもそういう所でも、そうなりたいと真剣に想えば、世界にも出ていけるし、世界一だって目指せる世の中にいまはなっている。

 だからいまの自分の境遇とその夢に隔たりはあったとしても、いつかは実現できると信じるのが大事だと思うし、そのためにはまず自分がそういう世界を実現したいと想うこと。そう想わない限り何にも始まらないんじゃないかと思います。

 本田さんやドラッカーは、特に若い人に期待をしていた、若い人の力を信じてたと僕は思うんです。だからいまの若い人にはぜひそういう精神を受け継いでもらいたいですし、僕自身が本田さんやドラッカーの本を読んで、自分なりの解釈をしながら会社をつくってきたように、企業経営をしている人は、そういう教えをぜひ参考にしていただきたいなと思っています。

写真=上野隆文

岩倉 信弥(いわくら・しんや)

昭和14年和歌山県生まれ。多摩美術大学卒業後、本田技研工業入社。大ヒット車シビックやアコードのデザインをはじめ、日本カーオブザイヤー大賞、日本発明協会通産大臣賞、グッドデザイン大賞、イタリアピアモンテデザイン大賞など受賞歴多数。その他の代表作にアコード、オデッセイなど。デザイン室の技術統括、本田技術研究所専務、本田技研工業常務などを歴任。平成11年同社退職後、多摩美術大学教授就任。16年立命館大学経営学博士。22年より多摩美術大学名誉教授。

写真提供:共同通信社

柳井 正(やない・ただし)

昭和24年山口県生まれ。早稲田大学卒。46年早稲田大学卒業後、ジャスコ入社。47年ジャスコ退社後、父親の経営する小郡商事に入社。59年カジュアルウエアの小売店「ユニクロ」第1号店を出店。同年社長就任。平成3年ファーストリテイリングに社名変更。11年東証1部上場。14年代表取締役会長兼最高経営責任者に就任。いったん社長を退くも17年再び社長復帰。

<連載ラインアップ>
第1回 「世界」を常に意識した本田宗一郎が、部下に繰り返し投げかけた質問とは?
第2回 ユニクロ柳井正氏は、なぜドラッカーを読んでもピンと来なかったのか? 
第3回 「企業は誰のものか」の答えとは? 会社の本質を見抜いたドラッカーの名言
第4回 がむしゃらに働くと、なぜ仕事は面白くなるのか?
■第5回 ユニクロ柳井正氏が捉えた、本田宗一郎とドラッカーの共通点とは? (本稿)

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