高倉&Company合同会社共同代表 髙倉千春氏(撮影:倉本寛)高倉&Company合同会社共同代表 髙倉千春氏(撮影:倉本寛)

 昨今、「人的資本経営」「ジョブ型雇用」「タレントマネジメント」など、人事領域における話題がビジネス界を賑わせている。ファイザー、ノバルティスファーマ、味の素、ロート製薬などで人事の要職を務めた高倉&Company合同会社共同代表の高倉千春氏は著書『人事変革ストーリー~個と組織「共進化」の時代~』(光文社)の中で、これらの動向はいずれも無関係なものではなく、「企業の人財観」の変遷という大きな流れの中にあるものだと指摘する。企業の人財観は世界的なビジネス潮流とどう関わり、どう変化しているのか。高倉氏に話を聞いた。(前編/全2回)

本稿は「Japan Innovation Review」が過去に掲載した人気記事の再配信です。(初出:2024年1月16日)※内容は掲載当時のもの

■【前編】「人的資本経営」を掲げながら「個人」に目を向けない企業の大きな誤り(今回)
■【後編】「人の心に火を点ける」人的資本経営時代の人事部門に求められる2つの視点

<著者フォロー機能のご案内>
●無料会員に登録すれば、本記事の下部にある著者プロフィール欄から著者フォローできます。
●フォローした著者の記事は、マイページから簡単に確認できるようになります。
会員登録(無料)はこちらから

「人財=コスト」と考える企業は遅れを取っている

――昨今、「人的資本経営」というテーマが話題になっています。この背景について、ご著書『人事変革ストーリー~個と組織「共進化」の時代~』では「企業の人財観」の変遷に触れながら解説されていますが、実際にどのような変化が生じてきたのでしょうか。

高倉千春氏(以下敬称略)「企業が人財(企業の財産である人材)をどう見るか」という企業の人財観は、その企業の経営課題や事業戦略、ビジネスモデルの変化に伴って大きく変わります。私の人事としてのキャリアは外資系企業の人事部門から始まっていますので、ここではまず、企業の人財観が世界的なビジネス潮流の変化の中でどう変遷してきたか、という歴史を振り返ってみたいと思います。

髙倉千春/高倉&Company合同会社共同代表

津田塾大学(国際関係学科)卒業。1983年、農林水産省入省。90年にフルブライト奨学生として米国ジョージタウン大学へ留学しMBAを取得。帰国後、コンサルティング会社で新規事業、組織開発に関するプロジェクトを担当。その後、99年、ファイザー、2004年、ベクトン・ディッキンソン、06年、ノバルティスファーマで人事部門の要職を歴任。14年より味の素理事グローバル人事部長としてグローバル人事制度を構築、展開。20年よりロート製薬取締役、22年、同社CHRO(最高人事責任者)に就任。23年現在、ロート製薬戦略アドバイザー、日本特殊陶業、野村不動産ホールディングス、三井住友海上火災で社外取締役を務める。

 私が、外資系の製薬企業で人事の仕事に本格的に携わったのは、1990年代のことでした。その当時は、企業の世界戦略としては、まだ、「インターナショナル」(国際化)という概念が主流の時代でした。「インター」(~の間)とあるように、各国の現地法人同士、また本社と現地法人が「つながる」という状態でした。

 そこでは、現地法人に経営の権限が委譲されており、目標の売上や利益さえ確保できていれば、その国独自の経営慣行や雇用制度を踏まえてビジネスをすることができました。ですから、私たち日本法人も、年功序列・終身雇用・企業別労働組合という「三種の神器」を用いて、日本独特の人事戦略に基づく経営を行うことができました。いわば、各国の「部分最適」でグローバルビジネスが行われていた時代といえるでしょう。

 しかし90年代後半になると、ビジネスのスピードが速くなり、全世界規模での競争が激化する「グローバル」の時代になりました。グローバルな競争に勝つには、各国の「部分最適」ではなく、全世界にある自社の経営資源(ヒト・モノ・カネ・情報)を最適配分するという、「全体最適」の考え方がビジネスに求められるようになったのです。

 それに伴って日本法人も、欧米にある本社の「世界戦略の中での一部分」という位置づけになったわけです。そうなると、日本独特の人事戦略ではなく、グローバルの基準に合った戦略を取る必要が出てきます。近頃、日本企業でも話題となっている「ジョブ型雇用」の導入に取り組んだのも、この頃のことでした。

 しかし、この当時の「企業の人財観」というと「人財はコスト(費用)」という考え方の下で人事管理をしていたように思います。利益率が二桁に届かなければ人員削減、採用中止という動きが出たことを思い出します。つまり、ここでの「全体最適」とは、人員数や人件費という「コスト」を世界的な視点からいかに最適配分するか、ということだったのです。