元プレイステーション事業CTO/EVP 茶谷公之氏(撮影:木賣美紀)元プレイステーション事業CTO/EVP 茶谷公之氏(撮影:木賣美紀)

 1994年の発売後7年で売り上げ1兆円を超えた家庭用ゲーム機「プレイステーション」。歴代プレイステーション(以下PS)事業の企画・開発、事業立ち上げ、運用に携わり、7年間にわたりCTOを務めたのが茶谷公之氏だ。2023年11月、著書『創造する人の時代』(日経BP)を出版した同氏に、PS事業が成長を遂げた秘訣(ひけつ)や、AI時代に価値が高まる「つくる」力の備え方、高め方について聞いた。(前編/全2回)

■【前編】「人に崩される前に自分で崩す」…プレステを“世界で最も売れた家庭用ゲーム機”に育てたソニーの流儀(今回)
■【後編】スタンフォード大の難病解析プロジェクトで活躍、ソニー「プレステ」がギネス記録の偉業に貢献できた理由(6月19日公開予定)

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Xboxに先駆けて新たな価値を生んだ「史上最も売れたゲーム機」

茶谷 公之/元プレイステーション事業CTO・EVP

大学院修了後、ソニーの開発研究所に入社し、手書き文字認識の開発を行った後、米国大学にてユーザーインタフェースとコンピューターグラフィックスを学び帰国。発売後3年で営業利益1000億円超、7年で売り上げ1兆円超となった初代プレイステーションの立ち上げメンバーとして参画。同事業のCTO/EVPとして、歴代のプレイステーションの構想・開発・立ち上げ・事業運営に携わる。その後、ソニー本社技術戦略部門長、楽天にてAI担当の執行役員、会計BIG4ファームの一つであるKPMGのデジタル開発会社CEOなどを歴任。ずっと「ものづくり」「プラットフォームづくり」に携わり続けている。また、書道師範やワインエキスパートなど、多方面に造詣が深い。

――著書『創造する人の時代』では、茶谷さんの経験を通してモノやサービスを「つくる人」の重要性を語っています。茶谷さんは「つくる人」として、どのようなキャリアを重ねたのでしょうか。

茶谷公之氏(以下敬称略) 大学を卒業後、ソニーの開発研究所に入社し、手書き文字認識のアルゴリズムや認識エンジンの開発を手掛けました。その後、米国の大学に留学し、ユーザーインタフェースとコンピューターグラフィックスを学んで帰国した後、1994年5月に初代「プレイステーション」(以下「PS1」)事業の立ち上げに参画しました。

 次に、北米に赴任して携わったのは「プレイステーション2」(以下「PS2」)の開発です。PS2では、競合である米マイクロソフトの「Xbox」に先駆けて「インターネットに接続して遊べる」という新機能を加えるなど、新たな価値を次々と打ち出しました。

――結果として、PS2は空前の大ヒットとなり、「史上最も売れたゲーム機」として歴史に名を刻んでいます。

茶谷 PS2が家庭用ゲーム機にとどまらない価値を生み出せたのは、海外市場での競争があったからだと思います。技術が発展する中で、開発のレシピを次々と書き換えて進化を続けました。

――茶谷さんはPS事業のCTOも務めましたが、どのような製品やサービスの開発に携わったのでしょうか。

茶谷 帰国後はCTOとして「プレイステーションネットワーク(会員制のオンラインサービス)」を立ち上げ、PS2をベースにしたハードディスクレコーダーの「PSX」、携帯用ゲーム機「プレイステーション・ポータブル(PSP)」と後継機「PS Vita」の開発、プレイステーション4の基本アーキテクチャーなどを手掛けました。

 その後、XperiaやVAIO、PSのネットワークに繋がる製品を扱うグループでクラウドサービスの開発に携わり、ソニー退職後は楽天でAI担当執行役員としてチャットボットの開発、2019年にKPMGに移り日本国内のデジタルネイティブ開発チームであるKPMG Ignition Tokyoを立ち上げ、初代CEOを3年ほど務めました。