戦後教育の総決算

 さて、なぜここまで「戦後教育」はダメなのか?

 その源流には欧州での学校教育の成熟と、その成果を取り入れた時期の日本の教育の成熟を指摘する必要があります。

 欧州(とりわけドイツやオランダなど西欧中部)では「学校」はキリスト教(とりわけプロテスタント)の「教会」に併設され発展してきた歴史があります。

 このため、子供たちの「目」に「輝きがあるか?」といった論点が細やかに議論される場合が少なくありません。

 大陸ヨーロッパでは「人を育てる教育」が強調されます。

 これに対して英国~米国も含めたWASP(ワイト・ングロクソン・ロテスタント)、アングロサクソンでは「工場労働者を効率的に生産する」システムとして、世界で最初の「公教育」が導入された歴史的経緯があります。

 さて、日本はどうだったか?

「学制」は「富国強兵・殖産興業」の国是のなか、産業労働力ならびに兵卒として機能する最低限の品質を備えること、つまりアングロサクソン型の「生きた工場部品生産」教育が、明治初期には絶対条件でした。

 富岡製糸場「女工哀史」など想起されれば自明でしょう。

 ところが、これが変容し、本当に人材を育てる方向に国全体が進んだのは1910年代以降の「大正デモクラシー」と言われる時期のことでした。

 理由は「ロシア革命」とそれに続く「米騒動」などにありました。

 ルンペンプロレタリアートとして、生きた部品として使役していると「アカ」にかぶれて「組合活動」などを始めてしまう。

 資本側がこれに妥協し、穏やかな社会民主主義体制を是として、「平民宰相」原敬内閣で、大正の教育改革が進められました。

 吉野作蔵とか美濃部亮吉、新渡戸稲造といった人々が活躍した時代で、この遺産でいまなんとかやっているのが本当のところになる。

 日本のノーベル賞は、湯川秀樹、朝永振一郎の両氏はもとより、川端康成や佐藤栄作ですら、実はこの「大正デモクラシー」世代に属しています。

 おおまかに1920年代から45年までの教育を受けた人たちが、2024年に至っても、日本のノーベル賞受賞者の大半を占めている現実は何を意味するのか?

 進駐軍による日本の教育解体は、再び英国よりえげつない「米国型」アングロサクソンの分断式で教科を切り刻み、動機を失わせ、教育のシルエットを持つゾンビに作り変えてしまった。

 その結果が「役に立たない教科」ランキングに出ている。

 実のところ私は両親とも大正生まれでしたので、戦後の「学習指導要領」は「学問のインチキである」として、家では全く不評、必要があれば何でも1次資料にあたるという家庭教育でしたので、かなり特殊な環境で育ちました。

 しかし、その観点からいま、過去50年100年を振り返ってみると、大正世代の両親が言っていたことが正解だったと、ひしひしと感じます。

 戦後80年を迎えようとしているいまこそ「戦後教育の総決算」と、進駐軍の政策的な教育教科の分断を乗り越えて、逞しくしたたかな知の底力を持つ、新しい世代を育てていかねばなりません。

 さもなければ、上に示したようなイノベーション活力ゼロ人材が次世代の大半を占め、日本は3等国以下への転落が強く懸念されます。

 今回は紙幅が尽きましたが、私はこの問題に責任のある側のセクターですので、科学教育や英語教育など、個別の問題についても、引き続き検討したいと思います。