たとえ被告が凶悪犯であっても公平な裁判が求められる

 3月12日、福岡高等裁判所は特定危険指定暴力団「工藤会」のトップ、野村悟被告(77)に対して「無期懲役」の判決を言い渡しました。

 この判決が日本の司法史に持つ意味を、刑法の故・團藤重光教授の観点に立って考えてみたいと思います。

 本当は連載の流れとして「松本人志」の締めを入稿すべきなのですが、本件の重要性、また3月末はパリで演奏など本業が忙しく、雑念を挟めず芸能ネタを扱えない心理にあるため、お待たせしている読者の皆さんには、この場を借りてお詫びします。

 3月12日、福岡高裁の市川太志裁判長は「主文 被告人野村悟に関する部分を一部破棄し、無期懲役に処する」と述べました。

 何が「破棄」されたのか。

 一審判決にあった「死刑」判決が破棄されたのです。

「死刑」と「無期懲役」では「生」と「死」の違いがあります。判決文が読み上げられる間、野村被告は何度もうなずきながら、まっすぐに裁判長を見つめていたと報道されています。

 日本の司法史に残る判決:推認死刑の破棄

 では、「死刑」が「無期」に翻った工藤会「野村悟総裁」は、いったいどのような事件で起訴されていたのでしょうか?

 この裁判で被告人が罪を問われている事件は4つあります。

 第1は「元漁協組合長射殺事件(1998)」。

 この事件は殺人の首謀者として刑事責任が問われています。

 第2は「福岡県警元警部銃撃事件(2012)」。

 第3は「看護師刺傷事件(2013)」。

 第4は「歯科医師刺傷事件(2014)」。

 いずれも「一般市民」をターゲットにした凶悪事件であるのは間違いありません。

 これらの容疑で2014年9月11日、工藤会「野村総裁」は、部下である工藤会・田上不美夫会長らとともに逮捕、拘留され起訴されますが、直接的な証拠はありませんでした。

 また漁協組合長は、引退はしていたものの元暴力団組長で、一般人かという判断については意見が分かれていたようです。

 2019年10月に開かれた第一審初公判以来、無罪を主張してきましたが、2021年1月に開かれた論告求刑公判で野村被告は「死刑」、田上被告は「無期懲役」を各々の検察官から求刑され、同年8月一審判決として「死刑」が言い渡されます。