使い捨て防護服を洗濯して使う日々

 リベリアを去った後も、古瀬氏は西アフリカでアウトブレイクが起きると、たびたび現地に招集されている。そこでも衝撃的な光景を目にすることに。

エボラウイルス病ではないが、似たようなウイルス性出血熱のアウトブレイクを何度も経験しているある病院では、なんと使い捨てのはずの防護服が繰り返し再利用して使われていた。防護服の洗い方や、破れた箇所の補修の仕方を記載したマニュアルまであった。

 本書ではこうした文章とともに、使い捨てのはずの防護服を庭先に無造作に干している写真も掲載されている。これも日本では考えられないことの1つではあるが、古瀬氏は彼らに「危ないからやめた方がいい」とは言わなかったそうだ。

 それはなぜか。

 そもそも洗って使いまわしているということは、毎回新しい防護服を調達するだけの資金がないからなのだ。そんな現実に思いをいたさず、「外野」から注意したところで、現地のスタッフは明日から何を着て死と隣り合わせのウイルスと対峙すればいいのだろうか。

 そう思った古瀬氏は注意をするのではなく、予算のやりくりや物品管理、調達面での改善を提案する支援を重視するようにした。切迫した場面では時として、自分たちの「正解」が「正解」とは限らない状況もある。本書ではそう訴えているのである。

「新型コロナウイルス」クラスター対策班の厳しい実情

 綴られているのは海外での体験ばかりではない。現在も完全には終息していない「新型コロナウイルス」最前線の話もふんだんに語られている。

 中国・武漢で原因不明の肺炎の集団発生が報告されたのが2019年12月のこと。そして翌2020年に古瀬氏は、厚生労働省の「クラスター対策班」に参加することになる。

 新型コロナに関する章には、政府がクラスターの発生場所を発表したことで無実の罪を着せられたある教授のことや、感染症対策の現場で必ず起こる医療従事者に対する差別など、厳しい実情の数々に触れている。

 そのどれもがクラスター対策班として奮闘していた彼だからこそ語れるものばかりで、読み進めるたびに古瀬氏をはじめとする医療従事者の方々には頭が下がる思いがする。