「管理を強化すれば良い結果が得られる」と勘違いすると衰退を加速させる(写真:maroke/Shutterstock.com

失われた30年で「不自由で、貧乏くさい国」になってしまった日本。社会全体には諦念が蔓延しています。そんな中で「日本の未来を担う人たち」をどうやって支援するかは大きな課題です。現在の日本社会から消えつつある「大人」がやるべきこととは何でしょうか。内田樹氏の新著『だからあれほど言ったのに』(マガジンハウス新書)より、本文を一部引用・再編集して紹介します。

(内田 樹:思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授、凱風館館長)

大学をダメにした「管理しようとする欲望」

 私はもう定期的に教壇に立つということはなくなったのだが、今でもいくつかの大学に理事や客員教授としてかかわっているので、大学で「いま何が起きているのか」はある程度わかっている。そして大学に関して言えば、楽観的になれる材料はほとんどない。

 大学教育は制度としてはどんどん劣化しているし、研究教育のアウトカムはどんどん低下している。それも加速度的に。

 その原因は「教育研究を中枢的に統御し、管理しようとする欲望」がもたらしたものである。「諸悪の根源」というような激しい言葉をあまり使いたくないが、「統御し、管理しようとする欲望」が今の学校教育の荒廃の主因であることは間違いない。

 だが、不思議な話ではあるが、「統御し、管理しようとする欲望」は「秩序」をもたらし、「効率」や「生産性」を向上させることをめざしているはずである。しかし、それがまったく逆の結果を生み出してしまった。なぜだろうか。

 それは「創造」と「管理」ということが原理的には相容れないものだからである。「管理」がどういうものであるかはほとんどの人が知っているが、「創造」がどういうものであるかを知っている人はそれに比べるとはるかに少ない。

 日本社会では「管理」したがる人の前にキャリアパスが開かれている。彼らは統治機構の上層に上り詰め、政策決定に関与することができる。

 だが、「創造」に熱中している人はシステム内での出世にはたいてい興味がないので、創造的な人が政策決定に関与する回路はほぼ存在しない。

『だからあれほど言ったのに』(マガジンハウス新書)の筆者、内田樹氏