創業者の故ジャニー喜多川氏の性加害問題を巡り、記者会見したジャニーズの藤島ジュリー景子前社長と東山紀之社長(写真:共同通信社)

 映画「全裸監督」で有名なアダルト・ビデオ監督、村西とおる氏が、1988年に、「ジャニーズ事務所の所属タレントと一夜を共にした」と語る女優を起用したところ、激怒したジャニーズ事務所が事実を否定し、主演女優と制作者サイドを激しく批判した。

 怒った村西とおるがジャニーズ事務所のスキャンダルを募集する電話回線を開設したところ、ジャニー喜多川社長と元ジャニーズ事務所のアイドル、北公次の同棲生活について、タレコミ情報が入った。

 すでにジャニーズ事務所を辞めて、歌手や俳優として鳴かず飛ばずの状況だった北公次氏は、村西とおるの指名で急行した作家の取材を受け、ジャニー喜多川氏の性加害について赤裸々に語った。

 証言は本になり、その後、ドキュメンタリービデオになった。ビデオの中で北公次はカメラに向かって性加害を辞めるようジャニー喜多川に訴えかけた。しかし、ビデオは当時ほとんど売れず、新聞をはじめ、あらゆる媒体がこの証言を無視した。

 35年の時を経て、日本中のメディアがこの時の動画や北公次の証言を繰り返し取り上げている。『僕とジャニーズ』(イースト・プレス)を上梓し、35年前に北公次の本とビデオを制作した作家の本橋信宏氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──1968年から1978年までの10年間活躍したジャニーズ事務所の男性アイドルグループ、フォーリーブスでリーダーを務めた北公次さんが、フォーリーブス解散からおよそ10年後の1988年12月に「光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記」(データハウス)という本を出版しました。この本は、ジャニー喜多川氏の性加害について暴露した最初の本でした。この本を書かれた経緯について教えてください。

本橋信宏氏(以下、本橋):村西とおるが1988年に沖縄でAVを撮影していた時、そこに主演していた女優の梶原恭子がポロッと打ち明けたんです。当時ジャニーズ事務所に所属していた田原俊彦さんと一夜を共にしたことがある、と。

 AV女優が芸能人と一夜を共にして、そのエピソードをステップにのし上がるというのは、今でこそ一つの手段になりましたが、当時はまだそんな方程式はなく、本当になにげなく出た言葉でした。

 雑談の中でその話をたまたま聞いた村西とおるが面白いと思い、「トシちゃんと一夜を共にした女」をコンセプトに作品を作りました。

 これが話題になり、「11PM」(日本テレビ 1965-1990年)がそのことを少し番組で取り上げたところ、番組担当者が飛ばされてしまった。さらに、ビデオを取り上げて記事にした週刊ポスト(小学館)にジャニーズ事務所からクレームが入った。

 その後、週刊ポストの編集部から説明を求められ、村西とおると梶原恭子が小学館に向かうと、対談相手としてジャニーズ事務所からやって来たのは、メリー喜多川(当時副社長)、白波瀬傑(現副社長兼総務責任者)、藤島ジュリー景子(前社長)、田原俊彦本人という豪華メンバーでした。

 みんなで、田原俊彦と梶原恭子が「やった」「やらない」で言い合いになった。さらに、途中からジャニーズ側が連れてきたトシちゃんの親衛隊(ファン)数名が乱入し、梶原恭子に激しく野次を飛ばして糾弾したそうです。

 復讐を決めた村西とおるが「ジャニーズ事務所マル秘情報探偵局」という電話回線を設置し、その電話番号を新聞などに掲載しました。「ジャニーズ事務所のスキャンダルをご存じの方はこの番号までお電話ください」というわけです。

 そうしたら、次々電話がかかってきました。98%はファンからの罵声でしたが、残りの2%はジャニーズに関するスキャンダル情報でした。

 タレコミの中に、60年代後半にジャニーズ事務所のアイドルグループ、フォーリーブスのメンバーだった北公次とジャニーさんが長いこと一緒に暮らしていたという情報があった。

 その時点で、ジャニーさんが、事務所に所属する男性タレントに手を出しているという噂は業界では有名でした。そこで「北公次がしゃべる可能性もある」と村西とおるは考えたのです。