いろいろな原因がありますが、大きかったのは経済というよりも環境問題じゃないかと僕は思っているんです。日本では何か大きな公共工事をしようとすると、環境破壊だと言ってたいがい物言いがつくでしょう。だから投資が進まない。アベノミクスで公共投資を推進しましたけど、中身はインフラ補修が中心でしたよね。

 日本人は、よく言われるように“空気”で動くんです。今度出す本(「壁」シリーズ最新刊、新潮新書、12月刊行予定)に丁寧に書いたんですが、昭和天皇の開戦の詔勅を読むと、仕方がないから戦争するという含みがあるんです。天皇陛下は、日本が置かれている状況をこと細かく説明したあとで、英米に宣戦布告するしか仕方がない、と続けておられる。「豈朕ガ志ナラムヤ(あにちんがこころざしならむや)」(どうしてそれが私の意思であろうか)と、私の意思ではないと、はっきり言葉にしているんです。それはとても日本的だと思えます。

 日本の経済成長の停滞も、財政政策の不備などが原因として指摘されますが、住民の反対が強くて新規の公共事業ができなかったことが大きいと思う。そして住民を反対運動に向かわせているのは、原理的に考えられた環境保全の“思想”というより、「自然を手つかずで残したい」といった漠然とした“空気”なんですよ。その空気のせいなのかおかげなのか、日本は「脱成長」期にすでに入っているんじゃないかという気がしています。斎藤さんは日本の低成長をどうご覧になっていますか。

斎藤 日本のゼロ成長は、経済成長しようとあがいているのに、成長さえできない最悪な状態ですね。今の日本の低成長は資本主義の成熟というか、限界の段階に達しているのだと見ています。それこそ高度経済成長の時代は、各家庭がテレビ、冷蔵庫、洗濯機、自動車など、次から次へと新しい物を揃えて市場が膨らんでいきました。輸出も増えたし、企業はどんどん設備投資をして経済が成長していきました。けれども今となっては、どの分野も市場に成長の余白はそれほど残されていませんよね。企業もリスクを冒して設備投資をしようとはしません。

 逆に言えば、基本的なニーズを満たすだけの発展を資本主義は遂げている。そのうえで、さらなる高みを目指して、わずかに進むために、多大なコストやリスクをかけるべきなのか、それとも限られた資源やお金をもっと持続可能な形で使うのか、問われているわけです。

養老 そもそもなぜGDPを増やしていかないといけないのか、その理由はどう議論されていますかね。

斎藤 「私たちの生活」という観点からすれば、成長を続けなければならない理由はないんですよね。むしろ、これ以上の成長が、地球環境を破壊するようになっている。今、必要なのは気候危機を前にした成長を前提としない制度設計です。

斎藤 幸平(さいとう・こうへい)氏
1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。
Karl Marx’s Ecosocialism:Capital,Nature,and the Unfinished Critique of Political Economyによって権威ある「ドイッチャー記念賞」を日本人初歴代最年少で受賞。著書に『大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝』、編著に『未来への大分岐』など。