米国のソ連に対する行動オプション

 ソ連がキューバに米国を射程内に収めるミサイル基地を建設中との非常事態に対し、米国がそのまま手をこまぬいて何もしなければ、米本土は直接その脅威にさらされることになり、同国の生存と安全を根底から揺るがすことは誰の目にも明らかであった。

 10月16日午前に、マック・バンディ国家安全保障担当補佐官からU-2偵察機の情報について報告を受けたケネディ大統領は、直ちに国家安全保障会議(NSC)を招集する決定を下した。

 しかもこの会議にはいつものメンバーに加えて、様々な経歴や意見を持った専門家が集められ、後に国家安全保障会議執行委員会(エクスコム)と呼ばれたが、危機打開の中心的役割を果たすことになった。

 エクスコムのメンバーで検討された米国の対ソ行動方針として、次の6つの選択肢(オプション)が挙げられ、最終的には「海上封鎖」が採用された。

(1)ソ連に対する外交的圧力と警告および頂上会談(外交交渉のみ)
(2)キューバのカストロ首相への秘密裡のアプローチ
(3)海上封鎖
(4)空爆
(5)軍事侵攻
(6)何もしない(しばらく成り行きを見守る)

 大統領顧問であったセオドア・C・ソレンセンの著書『ケネディの道』(1965年)や「キューバ危機」に関する先行研究によると、危機が発生した初期の段階では、主に国務省関係者を中心に(1)外交交渉と(6)何もせず、しばらく成り行きを見守る、の2つのオプションが論議されたようである。

 しかしケネディ大統領は、事態の切迫度に鑑み、(1)と(6)のいずれも却下し、また、(2)のカストロ首相への秘密裡のアプローチも、主要な交渉相手はキューバではなくソ連であることで排除された。

 大統領は、(4)のキューバへの空爆が最善であると考えていた。大統領の弟であるロバート・ケネディ司法長官は、さらに過激に、(5)のキューバ侵攻を主張した。

 ロバート・マクナマラ国防長官は、空爆の必要性を認めながら(3)海上封鎖を優先させるべきとの意見であった。ジョージ・ボール国務次官、アレックス・ジョンソン国務次官補、ディーン・ラスク国務長官、ロバート・A・ラヴェット元国防長官などがこの意見を支持した。

 ケネディ大統領は、「侵攻は最後の手段であって最初の手段ではない」と述べ、その意見がほぼ全体のコンセンサスとなり、残るは (3)の海上封鎖か (4)の空爆で、最初は空爆が有力であった。

 ではなぜ、米国は「海上封鎖」を最良の手段として選択し、それに踏み切ったのであろうか?