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格差広がる「西高東低」

 実は、国公立大学の医学部は偏在している。圧倒的な西高東低だ。首都圏(1都3県)の人口は3613万人だが、国公立の医学部は4つ(東京大学、千葉大学、東京医科歯科大学、横浜市立大学)しか存在しない。一方、人口385万人の四国には4つの医学部があり、すべて国立だ。

 私は、このような偏在は戊辰戦争の後遺症だと考えている。我が国の名門大学の多くは戦前に設立された。医学部の場合、戦前に17校が存在した。多くは江戸時代の藩の医学校から発展している。東京大学は江戸幕府の医学所、九州大学は福岡藩の賛生館という具合だ。

 幕末、西洋列強の侵略を怖れた幕府や諸藩は藩校を整備し、蘭学を学ばせた。その中心が医学だった。このような学校が、その後、国立大学へと発展した。戦前までに九州に3 校の官立医学部(九州大学、熊本医科大学、長崎医科大学)があったのに対し、首都圏には東大と千葉医科大学(現・千葉大)、東北地方には東北大学、甲信越には新潟医科大学(現・新潟大学)だけしかなかった。

 高度成長期、無医村解消を目指し、1県1医大政策が推し進められたが、これがさらに偏在を悪化させた。

 西日本には小さい県が多いため、結果的に地域全体として多くの医学部が新設される形になったからだ。1975年の千葉県の人口は415万人で、404万人の四国とほぼ同じだった。ところが、徳島県以外の3県に国立の医学部が新設されたが、千葉大学があった千葉県には医学部は新設されなかった。その後、千葉県の人口は622万(2015年)と49%も増えて、四国は人口が減った。この結果、さらに格差は拡がった。

 首都圏で国公立の医学部が不足しているのを緩和したのは、私大医学部の新設だ。現在、我が国には31校の私大医学部があるが、このうち首都圏に16校が集中する。

 この結果、首都圏の医学部と言えば私大医学部、というイメージが定着した。そのため、普通の家庭で育った若者にとって、医学部は極めて狭き門となってしまった。図3は、18歳人口あたりの国公立の医学部定員を示したものだ。

図3:18歳人口あたりの国公立大学の定員

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