韓国、ES細胞の研究再開を条件付きで認める

〔米ウィスコンシン州マディソンの研究所で、幹細胞を取り出す研究員AFPBB News

 前回は年度初めで"ネットワーク自由大学院大学"の始業式みたいな話を挟みましたが、高等学術の研究不正を元から絶つ王道、という話題を続けたいと思います。

 学歴ロンダリングによる低学力人材のトンネル進学でエア学位連発という大学院のスポンジ脳化状態に、どのように対処していくべきか。不正を防止する、では足りないのです。

 公正で建設的な創造性を伸ばす、その中で必然的におかしなものは淘汰されていく。大学も研究機関もそうであるべき、と考えます。研究倫理教育に関連して、本質的な解決策を検討、提示していきたいと思います。

 これは何も高等学術に限ったことではありません。人材育成の王道を全うしていれば研究不正などそもそも出てこないのです。

 実は研究と同様の不正が一般業務や社会のごく普通の局面でまかり通っているから、そういう"一般ピープル"的な意識にアピールすることだけ考えて、割烹着だか何だか知りませんが恰好だけ研究のポーズを取るなかで、安易な不正を繰り返し、それが常態化しても気がつかないところまで麻痺してしまっていることが問題なのです。

 不正再発防止の本質は、不正など起こさない人材の育成、これに尽きます。

 そして不正を起こさないためには、不正など起こさずとも真っ当に仕事が出来る研究開発能力を持つ人材をコンスタントに育てるのが王道、罰則とか禁止事項といった「ムチ」は補足的なもので、本来は「アメ」に相当する次世代の育成が中心に来るべきです。

 それが逆にムチが先に来てしまうと、次世代育成の中で研究倫理などという科目を設け、そこでペテンやインチキのオンパレード、その結果受けた処分などを列挙する不毛なカリキュラムの議論が進んだり、それが幾重もの稟議の類で正当化されて身動きが取れないほつれのようにして学生教員の時間を蚕食したりする。

 いったい、これと学芸の本質と何の関係があるのだろうか・・・?

 何もありません。では何をすればよいか。今回は高等学術研究における「戦略」と「戦術」について考えてみたいと思います。同様の考え方はビジネス全般およそどこにでも通用する基礎的な話です。