ある場所で「試験管奴隷」という言葉を知りました。STAP細胞問題が話題に上がり始めた頃です。
印象に残る表現ですが、いま改めてネットで検索してみるとあまり引っかかってこないので、ごく一部の表現でのみ使われている言葉なのだと思います。そういう前提で今回はここから話の口火を切りましょう。
この言葉は、バイオ系の大学院研究室で、博士課程の学生、あるいは学位を取った後の「ポスト・ドクトリアル・フェロー」(日本ではしばしばポスドクと呼ばれますが)の過酷な労働状況を表現するものだそうです。
私がかつて学んだ物理学科の環境とはおよそかけ離れたものなので、考えなくてはいけないな、と改めて思ったものです。
この「ポスドク」問題や「学歴ロンダリング」さらにはSTAP細胞詐欺の伏線となった学位取得の空洞化のメカニズムを考えてみたいと思います。
「優秀な人材」は残らない:大学院のヒューマン・フロー
どこの大学どこの大学院のどの研究室でも、どうせ指導するなら優秀な学生に来てもらいたいと思う本音があると思います。
まあ、その「優秀さ」にもいろいろあって、相性が合わなければ別の分野で優秀な人がちっとも力を振るえない、ということもしばしばあり、成績などで一概に「学生の優劣」を言うことはできません。
が、一般論として、教授は優秀な学生に研究室へ来てもらいたい。