ハヤシライスは謎と混乱の煮込み料理だった

「林」か「早矢仕」か「ハッシュド」か

2012.03.09(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

 「ハヤシ」という言葉が登場するもっとも古い文献は、1888(明治21)年に刊行された『軽便西洋料理法指南』(マダーム・ブラン述、洋食庖人編、久野木信善)。この本には、「ハヤシビフ」との名前が登場し、以下のレシピが載っている。

 <ロースビフを薄く五分位の大さに切り、又玉葱の外皮を去り輪切に刻み牛酪少しを鍋へ入れ共に煎附(いりつ)け煮熟(にえあがり)たるを度とし右の中へソップ澤山(たっぷり)入れ又スチウのソース少し入れ煮熟を待ちパンの揚げたるものを載せ出すべし>

 薄切りの牛肉と玉葱をスープとシチューのソースを入れて煮る。まさにハヤシライスのライス抜き料理。ようやく、ハヤシライスの原型が見つかった。しかも名前は「ハヤシ」である。

 だが、この本以降しばらく「ハヤシ」の文字は登場しない。次に見つかったのは、1907(明治40)年刊の『家庭応用洋食五百種』(赤堀吉松、赤堀峰吉、赤堀菊子著、新橋堂書店)である。ただし、この本に載っていた「ビーフ、ハヤシ」は牛肉とジャガイモをバターで煮付けたハッシュポテト系で、デミグラスソースを使ったものではなかった。

 ここにきて、私の頭の中は完全に混乱した。この本に出合うまでは、「ハッシュ」とついている料理はハッシュポテト系、「ハヤシ」と名づけられた料理はデミグラスソース系だったのではないかとにらんでいたからだ。

 ハヤシの名でハッシュポテト系の料理も紹介されていたならば、「ハヤシライスといえばデミグラスソース」という共通認識はいつ生まれたのだろうか。

ハヤシライスとハッシュドビーフ、違うけど同じ?

 私と同じように「ハッシュドビーフ=ハヤシライス」に疑問を持ち、別の説を唱えていた人物がいる。

 食文化研究家の小菅桂子は、元宮内庁大膳職主厨長だった秋山徳蔵が考案した宮内庁版ハヤシライスが元祖だと主張する。

 秋山徳蔵は「築地精養軒」に勤めた後に渡仏、帰国してからは大正、昭和の「天皇の料理番」として腕を振るった。この秋山が東欧料理のビーフシチュー「グラッシュ(goulash)」をヒントに身近な材料を使って簡単に仕上げたのが宮内庁版ハヤシライスとなり、これが「上野精養軒」に伝えられ、世間に広まったという説だ。

 だが、この説ではハヤシライスの語源までは説明できていない。おまけに、秋山徳蔵が宮内庁に入ったのは1913(大正2)年である。それよりずいぶん前の1907(明治40)年、3月10日付の朝日新聞には、東京神田の岡島商店の「固形ハヤシライスの種」の広告が掲載されている。秋山徳蔵が宮内庁レシピを考えるよりずっと前に、ハヤシライスはこの世に存在していた。

この連載記事のバックナンバー
トップページへ戻る

1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。