滋賀県を拠点に近畿、北陸、東海地域で総合スーパーの「アル・プラザ」や食品スーパー「フレンドマート」などを展開する平和堂。全国展開の大手総合スーパーが苦境に立たされる中、「アル・プラザ草津」「ビバシティ彦根」を次々に大規模リニューアルオープンするなど積極的な投資に注目が集まる。地域に密着する店舗作りの方法、出店戦略などについて平松正嗣社長に話を聞いた。(前編/全2回)
■【前編】大手総合スーパーの苦境を横目に滋賀県基盤の平和堂が店舗を次々大規模リニューアルする狙い(本稿)
■【後編】激安店に負けず「子育て世代」取り込みへ、平和堂が実践する地方チェーンならではの店作り
滋賀に「ジュニアデパート」を展開
──近年、総合スーパーの苦境が伝えられていますが、平和堂はお膝元の滋賀県を中心に地域住民の根強い支持を獲得できています。なぜでしょうか。
平松正嗣氏(以下敬称略) 1957年の創業以来、「地域密着」を掲げ、早い段階で衣食住が揃った、また、実用品から少し高級なものまで揃えたジュニアデパートとしてワンストップショッピング型の店舗開発を進めたからだと思います。
滋賀をはじめとした、われわれのドミナントエリアのお客さまにとってなくてはならない存在になりたいという強い気持ちを持って運営しています。
小売業という業態は、時代の変化に合わせて、柔軟に経営を変化させていかなければ生き残れない業態です。社是にある「豊かな暮らしと文化生活の向上」の実現を常に意識し、地域の方の生活スタイルの変化や要望に対応してきたことが一定の評価をいただいている理由だと思います。
平和堂は、靴とカバンの販売から始まり、衣料品、雑貨販売と業態を広げ、1966年に衣料、雑貨、食品まで備えた店舗となりました。そこから平和堂の店舗展開が始まっていくのですが、琵琶湖の周りを商圏と見立てる「琵琶湖ネックレスチェーン構想」を皮切りに、滋賀県内から北陸地方、京都府をはじめとした関西と次々に出店攻勢をかけていきました。
ジュニアデパートとしての完成形は、1979年にオープンした「アル・プラザ平和堂(現・アル・プラザ彦根)」です。名前も「すべてのものが寄り集まる広場」という造語から「ALL PLAZA」とし、専門店を備えた百貨店指向の店舗として誕生しました。その後、アル・プラザ店舗の展開を進め、身近な便利店として成長したのだと思います。
近年は少子高齢化に伴う人口減少と単身世帯の増加という社会現象が如実になっていますが、平和堂は「地域密着ライフスタイル総合(創造)企業」を中長期ビジョンとし、さらなる発展を目指しています。
2022年12月に改装オープンした「アル・プラザ彦根」を含め数店舗においても、高齢者と若者、子どもが集えるコミュニティ(みんなの広場)を用意するなど、いかに地元のお客さまに長く滞在してもらえるか、家と職場以外の「サードプレイス」になれるかを主眼に置いた仕掛けを施しています。
例えば、アル・プラザ彦根では社会福祉協議会(社協)と一緒に来館者へのイベントを立ち上げたほか、社協運営のカフェでは、ママさんたちの交流の場にもなっています。また、改装後は各階のフリースペースや人工芝を敷いた屋上では、近隣の高校生が、ダンスの練習をしたり、文化祭や体育祭の準備をしたりするようになりました。
みんなの広場では、卓球や囲碁将棋ボードゲーム等を友達同士で、あるいは、その場でつながった世代を超えた人と楽しむ姿も見ることができます。
店舗の短期的な収益性だけを考慮すれば、こうした施策の効果に疑問が生まれるかもしれません。しかし平和堂は地域のお客さまの支持を獲得してこそ、その存在意義と新たなチャンスが生まれると考えています。
過去10年間で、ディスカウントスーパーや食品構成比の高いドラッグストアも増えてきました。一方のわれわれは、小売事業を核にしながら、地域のお客さまの生活に密着したライフスタイルを総合的に支援する事業を展開したいと考えています。
──各店舗の売り場の改装やアル・プラザの大規模リニューアルを積極的に行っています。どのような狙いでしょうか。