ANAホールディングス(HD)グループに、旗艦のANA(全日本空輸)、LCC(格安航空会社)のピーチ・アビエーションに続く第3のエアライン「エアージャパン」が誕生した。2024年2月、成田─バンコク(タイ)線と成田─仁川(韓国)線に就航し、4月26日にはシンガポールへも翼を広げる。エアージャパンの最大の特徴はFSC(フルサービスキャリア)とLCCの“いいとこ取り”のサービスにあるが、具体的にどんな差別化ポイントを掲げ、競合エアラインとの競争に打ち勝っていくのか。同社の峯口秀喜社長に話を聞いた。
エアージャパン誕生までの道のり
――峯口さんは技術系でもともとは整備畑のご出身。その後、経営企画部門の経験が長かったようですね。
峯口秀喜氏(以下敬称略) 1990年にANAに入社して整備現場で7 年間過ごしました。飛行機の改修が主な仕事でしたが、その後、日本生産性本部への出向を挟み、整備本部の企画管理部に戻って採用や人事、労務関連の仕事をしてきました。それ以降は整備の仕事から離れて本社勤務となり、グループ会社のマネジメントをする部署を経て、2011年から10年間、経営企画部門に在籍しました。
――2021年にエアージャパンの社長に就任されたわけですが、これまでのキャリアでどんな経験が生きていますか。
峯口 ANAHDが提携して出資もしている、スターフライヤーとソラシドエアの社外取締役を務めたことは大きな経験でした。
出身部門柄、整備やグランドハンドリング(航空機の機体や旅客、貨物・燃料等の搭載物の取り扱い等に関わる業務)はよく理解していましたが、パイロットや客室乗務員の労務問題、あるいは競合他社と日々競争している営業部門の課題など、未経験な分野を社外役員の立場から見聞きできたことが、エアージャパンを立ち上げる際にとても参考になりました。
――さかのぼると、エアージャパンの立ち上げはいつ頃から検討され始めたのでしょうか。
峯口 LCCの流れから説明しますと、2012年に日本初のLCCとして「空飛ぶ電車」をコンセプトにピーチ・アビエーションが関西国際空港を拠点に就航しました。また、同年にはエアアジア・ジャパン(ANAとマレーシアのエアアジアの共同出資)も就航しています。エアアジア・ジャパンについては翌年の2013年に合弁を解消し、ANAHD100%出資のバニラ・エアに社名を変更しました。その後、2019年にピーチとバニラが経営統合し、ピーチに一本化したわけです。
当時、私は経営企画部門におりましたのでピーチとバニラの統合にも関わりましたが、ピーチを軸に短距離LCCを成長させていこうという経営判断でした。
一方で、2017年頃から中距離路線のLCCを前提に、新たなビジネスモデルが必要ではないかと検討を始めたのです。当時、すでに2020年に羽田空港の発着枠が拡大することが決まっていましたが、その増枠分だけでは羽田から新規就航できない路線を成田から飛ばそうと考えたからです。
その際、従来のANAブランドとして就航するのがいいのか、あるいはもう少し低コストで運航できる航空会社がいいのかを議論しました。最終的な結論を出したのは、2020年のコロナ禍の時期です。
コロナ禍でオンライン会議が普及し、出張などのビジネス需要が激減しましたが、そこはアフターコロナでも完全には戻らないだろうと考えていました。一方で観光などのプレジャーニーズは、コロナが収束すれば再びインバウンド需要が伸びることは確実でしたので、その受け皿となる低コストモデルのエアラインが必要だと判断したのです。
とはいえ、新たに航空会社を立ち上げるのに要するコストが大きいことは、ピーチやバニラなどで経験済みです。そこで、すでに1990年に設立していたエアージャパンの存在があったので、ここを母体にすることで、なるべく早期に新しいエアラインが立ち上げられると考えました。