できることなら手間や時間をかけずに、質の高いアイデアを手に入れたいものだ。だが、世界の名だたる成功企業においては、イノベーションを生み出すために、あえてアイデアの質よりも重視している要素があるという。一体何なのか。
 本連載では、デザイン思考のパイオニアであるスタンフォード大学d.schoolで、シリコンバレーの起業家やフォーチュン500企業の経営者らを指導してきた教授が、創造性を刺激し、無数のアイデアを生み出し、イノベーションを促す真髄を余すところなく解き明かす。第1回は、アメリカのアウトドア用品大手・パタゴニアが、商品ラインアップを考える際に冒してしまったある失敗のエピソードをもとに、企業が安全策をとることに潜むリスクについて解説する。

(*)当連載は『スタンフォードの人気教授が教える 「使える」アイデアを「無限に」生み出す方法』(ジェレミー・アトリー、ペリー・クレバーン著、小金 輝彦訳/KADOKAWA)から一部を抜粋・再編集したものです。

<連載ラインアップ>
■第1回 パタゴニアが冒した大失敗、企業にとってなぜアイデアが死活問題なのか?(本稿)
第2回 アマゾンを成功に導いたのは、運でも才能でもなく「アイデアフロー」
第3回 スタンフォードd.school教授が辿り着いた、究極のアイデア発想法とは
第4回 ダイソンやエーザイなどの優れたアイデアを持つ企業に共通する黄金比とは?


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 ペリーが「万策尽きた」と悟ったのは、ある肌寒い4月の朝、カリフォルニア州ベンチュラでのことだった。パタゴニアの本社で車を降りたペリーは、フリースのジッパーを顎まで上げ、熱いコーヒーを手に、自信がみなぎるのを感じていた。時は2002年。ペリーは、型破りな登山家であるイヴォン・シュイナードが創業した人気のあるアウトドア用衣料の会社で、販売と業務の大部分を任されていた。9月11日の悲劇のあと、世界中で驚くほどストレスの多い数カ月となったが、少なくともいまこの場では、物事が正常に戻りつつあると感じられた。

 幸運なことにペリーは非常に価値の高い大企業で働いており、同僚はみな、すばらしい人たちだった。その朝、潮風を深く吸い込んで春の訪れを感じるのは気持ちのいいことだった。

 だがペリーの楽観的な気持ちは、翌年の春シーズンのために届いたばかりのウェアの棚を調べていくにつれて、手にしたコーヒーよりも早く冷めていった。このまるで葬式用のようなウェアが、全国のパタゴニアの店舗や数多くの小売店に送られるのだろうか? これらの単調でモノトーンな衣類が、春に向けての探求と刷新に関するパタゴニアのアイデアなのか? ペリーは、ぬるくなったコーヒーを、無理やり一口すすった。

 ペリーは平然を装い(そして失敗し)ながら、製品担当チームのチェックに備えて忙しく立ち働いているシニア・マーチャンダイザーに向かって、思い切ってこう口にした。

「おはようエイドリアン。春のラインアップにしては、製品が少しばかり……暗いとは思わないか? 新しい色合いのものはどこにあるの?」

 居心地の悪い沈黙のあと、エイドリアンが答えた。「新しい色合いって?」ペリーは強張(こわば)った笑みを浮かべながら、ほかの色のウェアはまだ到着していないがここへ向かっているはずだとでもいうように、ブラックとグレーのウェアが並んだ気が滅入るような棚を顎でしゃくった。そのとき、エイドリアンの顔が、棚には見当たらないような鮮やかな色に染まった。

「ペリー。あなたが売れ筋に専念すべきだといったのよ」と、エイドリアンはいった。ペリーはいい返すことができなかった。その通りだ。ペリーがそういったのだ。

 当時は、とにかく安全策をとることに大きな意味があった。だが、このパタゴニアの春のラインアップはまるで葬儀屋のクローゼットのようだ。どの棚にもブラックとグレーのウェアが延々と並んでいるのを見ると、それらがパタゴニアの明るく快適な店舗にもたらす不快な効果ばかりを想像してしまう。気が滅入るような場面だ。

 これは、何よりもリスクを避けるために下した決断の結果だった。だがペリーは、「安全性」を追求して選択肢を狭めたことで、逆に恐ろしいリスクを負ってしまったのだった。

「最短でいつまでに、ほかの色を取り寄せられると思う?」ペリーは、作り笑いを顔に貼りつけたまま尋ねた。「状況はもとに戻りつつあるし、顧客も戻ってきている。春までには、少し明るい色も受け入れられるようになると思うんだけど」

「冗談でしょう?」エイドリアンが、にこりともせずに答えた。「うちの標準リードタイムが18カ月だってわかっているわよね?」

 18カ月! 今日のアイデアを昨日の会社に適用するにはどうすればいいんだ? そうすれば明日を迎えられるというのに。ペリーは、冷たくなった飲みかけのカップをゴミ箱に投げ捨てた。さあ、仕事に取りかからなくては。