ビール造りで息づいていたキリンの「醸造哲学」
キリンホールディングスが、グループを挙げてCSR(企業の社会的責任)からCSV(クリエイティング・シェアード・バリュー/社会的価値と経済的価値の両立)経営へと大きく舵を切ったのは10年前の2013年のことだった。当時、日本で初めてCSVの名称を使った部門(CSV本部)を発足させた。
そのきっかけとなったのが2011年の東日本大震災だ。震災ではキリンビールの仙台工場も被災したが、直後から復興支援に取り組み、3年間で約60億円の義援金を拠出した。ただ、復興支援は一定の成果を上げたものの、寄贈事業だけでは持続性に限界もあった。
また、同じ2011年、米国ハーバード大学教授で経営学者のマイケル・ポーター氏がCSVの重要性を提唱し、この考え方に深く賛同したのがキリンHDの磯崎功典社長である。現在、CSV戦略を担当するキリンHD常務執行役員の溝内良輔氏はこう振り返る。
「磯崎社長がCSVを語り始めた2012年、私は経営企画部長でしたが、当初は社内でも『CSRとCSVはどこが違うのか』とか『CSRのほうが通じやすい』といった声も多く、CSVが正しく理解されているとは言えませんでした」
CSRは平たくいえば社会貢献活動であるのに対し、CSVは社会課題を解決することに資するビジネスを展開することで収益も上げ、企業を成長させていく考え方だが、前述のポーター氏がCSVを推奨した背景には、すでにCSV経営を実践している企業の事例があった。スイスに本社を置くグローバル食品メーカーのネスレである。
ネスレは2007年、アフリカなどの発展途上国における乳業ビジネスで以前から実践していた経営思想をCSVと命名し、これを経営コンセプトとして広めたのがポーター氏であった。ただし、キリンHDがCSVを経営の基軸に据えると宣言したのは、ネスレのような前例に倣ったからではなく、キリンの土壌、文化に根差した要素が大きかったようだ。
「我々は1980年代から医薬品事業に参入していますが、すでにその頃から、バイオの技術革新で社会課題を解決しようという発想がありました。それをCSVとは呼んでいなかっただけなのです」(溝内氏)
磯崎社長は常日頃から、「キリンは技術オリエンテッドな発酵バイオテクノロジーの企業集団」と語っており、「そこにはビール造りを生化学として捉える、“生への畏敬”というキリンの醸造哲学が息づいている」(溝内氏)のだという。