このような新間正次氏に、子供時代からお父さん(邦次氏)は「将来は政治家になってほしい」という夢を託していたそうです。

 以下の真偽はよく分からないのですが、正次氏の高校卒業時、お父さんは「(裏口入学で)明治大学に入れる手続きをしてやった」と告げたらしい。

 ところが、正次氏は気が進まず(?)、 実際に明大へ通学するなどの事実はなかった。

 そして、29歳でデビューしたラジオ歴が30年に近づいた1991年、政党からの誘いがあり、子供時代から親に嘱望された「いつかは政治家に」という夢(その時点では親御さんは亡くなられていたようです)に火が付き、5600回以上も出演していたレギュラー番組「ラジオ朝市」を降板。

 民社党公認候補として参院選に出馬、3位で当選を果たします。

 実際、新間氏の一族には政治家への志望があったようで、従姉弟にあたる新間寿氏も、同じ第16回参議院選挙で、アントニオ猪木らの「スポーツ平和党」から立候補、落選しています。

 ところが、ラジオでの知名度がモノをいい、当選してしまった新間正次氏には、選挙直後から「経歴詐称」が囁かれます。

 中でも「昭和24年、中学時代に全国から選ばれ、スイスに国費留学」といった、あり得ないガセネタ(1949年はいまだGHQの占領下にあり、当時の日本でそんなことが可能なわけがなかった)など、ラジオパーソナリティの特技がいき過ぎたのか(?)、吹きすぎ、翌1993年8月、選挙戦における当選目的で経歴詐称をした公職選挙法違反で在宅起訴されました。

 百日裁判の対象となり、同年12月、禁固6か月執行猶予4年の判決が下されました。