親子2代の悲願が創り出した「学歴の山盛り」

 小池百合子さんの父、故・小池勇二郎氏(1922-2013)は1968年、第8回参議院議員選挙に出馬した石原慎太郎を推す「日本の新しい世代の会」の関西地区代表者を務めました。

 翌69年には自身も第32回衆議院議員選挙に出馬したものの、落選。事業が立ち行かなくなってエジプトに移住という経緯が伝えられます。

 父親の衆院選出馬と落選が高校2年、高校を卒業し関西学院に入学した1971年、一家でエジプト移住のため大学中退というのが、この当時の小池百合子さんの航跡です。

「カイロ・アメリカン大学」から「カイロ大学」への「編入(?)」に際しても、父・勇二郎のエジプト政界コネクションが関係したといった報道もなされているようです。

 のちのち1992年、小池さんは参院選に当選、父が応援した石原慎太郎氏の選挙からは24年が経過しており、翌93年の衆院選当選は、やはり24年前、父・勇二郎氏が落選したのと同じ「兵庫2区」で、親子2代の雪辱を果たす意味合いがあったことでしょう。

 そして、これとよく似た構図が「新間正次」氏についても指摘できるのです。

 新間氏は昭和9年に愛知県は豊橋で、靴店「早稲田堂」を営む新間邦次氏の3男として生まれ、昭和20年、空襲のため蒲郡に移住、(昭和28年?)愛知県立蒲郡高等学校を卒業後、NHK名古屋放送劇団に入団します。

 この昭和28年は日本でテレビ放送が開始された年で、新間氏は草創期のテレビに関わり、名古屋放送局の番組などに出演。

 10年後の昭和38年、中部日本放送(CBC)のラジオ番組に「初の名古屋弁パーソナリティ」としてデビュー。

「シンマちゃん」の愛称で親しまれ、名古屋エリアで絶大な人気を誇るラジオ・パーソナリティの第一人者となりました。