火災で焼失した輪島市内で行方不明者を捜索しつつ瓦礫処理に当たる陸自隊員(写真:陸上自衛隊第10師団Facebookより)

地震発生20分後に発進した千歳基地の「F-15戦闘機」

 2024年元日に発生した石川県能登半島北端を震源とする「令和6年能登半島地震」(マグニチュード7.6、最大震度7)。大規模な火災や津波も発生し、死者220人以上など能登地方を中心に甚大な被害を及ぼした。

 今回の震災は、日本海に突き出し三方を海に囲まれた細長い半島が舞台という点が特徴で、ここ数十年の間に国内で発生した他の大地震と趣を異にする。しかも、半島北部、輪島市の有名な棚田群「千枚田」が物語るように、山が海まで迫り平地が極端に少ない。

 半島部と外部とをつなぐ陸路は、数本の主要道と単線の鉄道(第3セクター「のと鉄道」)1本だけとごく限られ、どちらも破壊・寸断された。このため半島の中・北部の大半が長期間孤立し、電気・ガス・水道もダウンした。

 能登空港も大きく損壊(10日後に仮復旧)し、「頼みの綱」であるはずの船舶輸送も困難を極めた。国内観測史上最大の約4mにものぼる海岸隆起で、半島北部の日本海側に面したほぼ全部の港湾が“陸化”して干上がり、船が入港できない状況に陥った。

 自衛隊はすぐさま動き、まず「自主派遣による災害派遣」に基づいて、地震発生(16時10分)から20分後には、航空自衛隊のF-15戦闘機2機が千歳基地(北海道)から発進。被害状況を上空から偵察し、情報を司令部に伝達した。「まずは情報収集から」は軍事・災害時共通の鉄則だ。

「自主派遣による災害派遣」は、阪神・淡路大震災の教訓から1995年に定められた“伝家の宝刀”である。都道府県知事の要請を受けてから自衛隊が動くのが災害派遣の大原則だが、知事と連絡が取れなかったり、大災害で今まさに人命に危険が迫り、悠長に要請を待つ時間がなかったりする場合は、自衛隊の部隊長などが自主的に判断して派遣できる。

 今回の災害では、並行して震源地に最も近い自衛隊の基地、空自輪島分屯地(隊員数百人)も、周辺住民の救助などに動いた。

 そして、1月1日16時45分に石川県知事は自衛隊に災害派遣を要請。これを受けて翌2日午前中に、陸海空3自衛隊を統括する「統合任務部隊(JTF)」が編制され、「1万人動員」が示された。

道路が不通の中、ヘリを駆使して直接被災地に物資・機材を運搬する自衛隊(写真:ロイター/アフロ)

 JTFの中心は陸自第10師団(司令部は愛知県守山市、北陸3県と愛知、岐阜、三重各県が守備範囲で隊員数9000人弱)で、被災地に近い金沢駐屯地(石川県)の部隊をメインに、“先遣隊”約1000人が現地入りし、最優先の人命救助に当たった。

 続いて富山、鯖江(福井県)の各駐屯地や、第10師団の主力が控える中京地域の普通科(歩兵)部隊なども移動し、他地域の陸自部隊や海空両自衛隊もこれに続いた。

 自衛隊員の投入数は、3日に約2000人、4日に5000人、7日には6000人超と着実に増強され、現地の事情などを勘案しつつさらに投入人員を増やす予定だ。

海自の輸送艦「おおすみ」に続々と乗り込む陸自の重機やトラック(写真:海上自衛隊Webサイトより)