自衛隊員は現代の「特攻隊員」と言えるかもしれない(写真は陸上自衛隊・令和5年富士総合火力演習、陸自のサイトより)

 9月23日、世田谷山観音寺(東京都)境内にある特攻観音堂で、大東亜戦争で散華した特攻隊員の年次法要が行われ、筆者は案内などのボランティアで参加した。

 十余年前にインタビューをしたことがあり、100歳を超えられた今も「産経新聞」などで健筆を奮っておられる千玄室大宗匠(特攻隊員で裏千家前宗匠)が参列されることを知り嬉しさが込み上げてきた。

 式典は好天に恵まれ、藪蚊もさして問題にならず国歌斉唱に始まって予定通りに進んだ。

 そうした中で大東亜戦争、中でも慰霊法要の対象になっている特攻とは何であったのかなど想いは尽きなかった。

 そして現在に思いを馳せた時、「危険を顧みず、身をもって」と宣誓している自衛隊員は“現代版”特攻隊員に仕立て上げられているのではないだろうかとの思いに至った。

戦争はなくならない

 ウクライナを不法侵略したロシアは教会や体育館などの公共施設を無慈悲にも攻撃して市民虐殺も厭わない。

 他方、パレスチナではハマスがイスラエル建国以来、最大の市民を殺傷した。

 対するイスラエルは自衛権の発動としてハマスが司令部を構築しているとされるガザ地方北部にある一般市民の病院などを爆撃をしている。

 どの戦場においても一般市民が巻き添えになり、多くの犠牲者が出ている。

 日本人(の多く)は憲法が歯止めになって戦争は起きないと思っているように見受けられるが、現実はそうではない。

 ウクライナもイスラエルも国家防衛のために軍隊の教育・訓練をおろそかにしていたわけではないが、今日明日に「戦争」が起きるとはみていないところに、突然侵攻され、あるいは攻撃を受けた。

 いったん戦争が始まると国連や国際社会がどんなに声を張り上げても、国際法そっちのけで市民が巻き添えになる。

 戦争には国際法を逸脱した行動が付きまとうのが実相である。

 どの国も軍隊を保有し、学校で「戦争」について教え、国民全体が戦争や軍隊について知識を共有することを重んじている。

 憲法で「戦争放棄」を謳えば安泰などとは稚戯も同然である。