平成バブルの時代、三菱地所が買収したニューヨーク・ロックフェラーセンタービル(Beata Zawrzel/Nurphoto/共同通信イメージズ)

「日本論」という研究分野が1970年代には盛んだった。国内ばかりではなく、欧米にもいわゆる「Japanologist」と呼ばれる日本を研究する学者がいて、数多くの論文や著作物が書かれた。その多くは日本を肯定的に分析する内容だった。欧米的な近代観の中で経済成長を成し遂げたがゆえに、かえって欧米からどう評価されているのか、日本人も知りたかったという面もある。

 実は、韓国でも一時期「韓国論」が盛り上がった。そこには絶えず日本との対抗意識があった。私たちアジア人は、西欧からどう見られているかということに、なぜこれほどまでにセンシティブなのか。『アジアを生きる』(集英社新書)を上梓した政治学者の姜尚中氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──学生時代の姜先生に大きな影響を与えた経済史学者、大塚久雄(1907-1996)の大塚史学について書かれています。どのように大塚史学に出会い、なぜ重要に感じられたのでしょうか。

姜尚中氏(以下、姜):かつてフィリピンでは、フェルディナンド・マルコス元大統領が独裁的な権力を持っていました。そして、民主化のために働いた野党指導者ベニグノ・アキノ・ジュニアは1983年に暗殺され、非業の死を遂げた。この時に、ある日本の報道番組の解説員が「今のフィリピンは、日本でいえば平安朝くらいの状況です」といった解説をしました。

 私はこの解説員の言葉を通して、日本がアジアをどう捉えているのか理解できた気がしました。

 他の国々を、発展の段階において自分たちの過去の姿に置き換えていく議論は、一般の方でもやりがちなこと。こういうものの見方が学問的な根拠があるかのように考えられてしまう時期があったし、今でもそういうことはあると思います。

 国や社会を発展段階論的に位置づけ、一番進んでいる場所を欧米や日本と考え、その他の国々がキャッチアップしようとする。こういう常識が強い時代に、私は学生時代を過ごしました。こういった考え方の一つのパラダイムとして大塚史学があったんです。

 大塚さんの議論はとても分かりやすかった。イギリスやアメリカのように経済が発展し、言論の自由やデモクラシーがある。こういった社会に日本がなれそうでなれず、結果としてあの戦争に突入した。

 戦後はそういった理想にもう一度近づいていく。この観点からヨーロッパの経済史を眺め、それを一つのモデルにしていろいろな国を測っていく。進んだ社会と遅れた社会に分類していく。

 これは、単に発展の段階を時間的に区切っていくだけではなく、より価値がある社会を上位に置くヒエラルキー構造です。遅れた社会はさげすまれるし、何かの欠陥があるのだと考えられる。

 イスラム社会はキリスト教社会と比べると遅れている。宗教や、ものの見方や考え方、人々の社会を秩序つけている価値があり、発展を阻害するような様々な要因があり、その社会は遅れている。

 たとえば、そういう見方をします。

 こういった考え方を、非常に分かりやすく学問的に提示してくれたのが大塚久雄さんでした。

「日本社会をより欧米型の社会に近づけたい」というビジョンの下、大塚さんの経済史は体系づけられていた。私が学生だった時代は近代化論が時代のメインテーマだったので、大塚さんのものの見方は大きな意味を持ちました。