米貨物航空アトラスエアに引き渡されたボーイング747の最終号機(写真:ロイター/アフロ)

米航空機大手ボーイングは1月31日、「空の女王」の愛称で知られるジャンボジェット「ボーイング747」の最終製造機を、米貨物航空アトラスエアに引き渡す記念セレモニーを開いた。米ワシントン州エバレットの工場では、ボーイングの退職者も含めた従業員、顧客、サプライヤーの関係者らが集まり、最終納入を祝った。今回の引き渡しで、大量輸送の一時代を築いたジャンボジェットの生産が終わりを告げた。あらためて、その功績について考えてみたい。

(杉江 弘:航空評論家、元日本航空機長)

大型ジェット旅客機は何を変えたか

 ジャンボジェット「ボーイング747」は1969年の初飛行以来、54年間で100以上の顧客向けに納入された。シリーズには数々の派生型があるが、最後に製造されたのはのは747-8フレイターと呼ばれる貨物機であった。今回の機体は1574番目に製造されたものとなる。

 1970年代、ジャンボジェットをトップバッターに次々と開発された大型旅客機は、それまでの航空界を一変させる功績を残したと言ってもいいだろう。

 機材の大型化は、まず大量輸送を可能にし、日本の国内線でも最大565人もの乗客を一度に運べるようになった。その結果、1人当たりの乗客を運ぶコストを削減し、運賃の低下にも結びついた。

 ジャンボジェットが初飛行した1969年まで、航空運賃はIATA(国際航空運送協会)によるカルテルとも言われたように一切の割引運賃が認められていなかった。それがジャンボジェットによる大量輸送時代に入ったことで、初めて割引運賃が認可されたのである。

 航空運賃の歴史については、2022年12月3日の本コラム「海外旅行は再び高根の花になるのか?航空運賃の歴史と中身を考える」でも例に挙げたように、1969年に日本航空の欧州線でバルク運賃と呼ばれる特別運賃が導入された。これは普通片道エコノミー運賃に対し、63%割引されたものであり、以降、個人と団体の両分野で様々な割引運賃が導入されて今日に至っている。

 機材の大型化がもたらしたものには、機内の快適性もある。