三菱重工業は国産ジェット旅客機の開発を中止すると正式に発表した。納入延期を繰り返した上、同社が「一旦立ち止まる」と表明していた「スペースジェット(旧MRJ)」については、本コラムで1月27日と2月1日に2回に分けて、主にパイロット目線で性能面での課題や国の責任について述べた(下記関連記事を参照)。今回は度重なる納入延期が航空界にもたらした影響に重点を置いて解説してみたい。
【関連記事】
◎「塩漬け」にされた国産ジェット旅客機開発、三菱重工に欠けていた視点とは
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◎延期繰り返し「売り」を失ったスペースジェット、なぜ国は支援できなったのか
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/73750
(杉江 弘:航空評論家、元日本航空機長)
経済産業省が主導、2002年に始まったプロジェクト
スペースジェットの失敗にはいろいろ理由があるが、大きいのは米国当局から耐空証明を取得できなかったことだ。その理由として、三菱重工業と国がスペースジェットの設計製造にあたって、技術的に「JIS規格(日本産業規格)」で通用すると甘く見ていたのではないか、という意見が関係者からも伝わってくる。
試作機のロールアウト後、電気系統の配線などに約900カ所に上る設計変更が必要であることが判明した。それが結果的に6度の納入延期につながり、事実上の撤退に至っている。そうした多くの設計変更は、本来ロールアウト以前に対処すべき課題である。その点でも事業継続についての見通しの甘さがあった。
いずれにしても、今回の結果に対する責任は三菱重工と国の双方にあるが、事業への支援に約500億円の公的資金が使われていること、そして、ANAとJALの事業計画と機材計画に大きく影響を与え、いまだに混迷状態にさせている責任があることを忘れてはならない。
我が国でリージョナルジェット機の開発が始まったのは、2002年に経済産業省が発表した30〜50席クラスの小型ジェット機開発案「環境適応型高性能小型航空機」からであり、それを日本の機体メーカー3社(三菱重工業、川崎重工業、富士重工業)に提案した。当初の開発期間は2003年度から5年間、開発費は500億円を予定し、その半分を国が補助するというものであった。